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2017年版 12月9日はこんな日


● 今日(12月9日)の主なできごと

1159年 平治の乱……この日、藤原信頼が、源義朝らの兵に後白河上皇の御所を襲撃させ、上皇と二条天皇を幽閉するという「平治の乱」が始った。当時、義朝らの源氏と、平清盛らの平氏という2大武士勢力が朝廷内で力を伸ばしていたが、信頼は清盛の留守をねらって政権を奪おうとしたが、清盛は急いで帰京すると、信頼の味方をするとみせかけて攻撃し、信頼を殺害した。清盛は、義朝も殺害し、その子頼朝を捕え、平氏隆盛のきっかけとした。

1945年 農地改革……連合国軍総司令部(GHQ)は、占領政策として経済構造の民主化をはかったが、そのひとつが、この日指令された「農地改革に関する覚書」だった。1947年から49年の間に、全国260万町歩の小作地のうち200万町歩が自作農に解放され、地主制はほぼ壊滅することになった。


● 今日の主な記念日・恒例日

障害者の日……国際障害者年の1981年のこの日、総理府(今の内閣府)主催の中心記念事業「広がる希望の集い」で制定された記念日。

国際腐敗防止デー……公務員等による贈収賄・横領などの汚職・腐敗行為の防止のための日として、2003年に制定された国際デーのひとつ。


● 今日生まれた人

1608年 ミルトン……イギリスの詩人。代表作『失楽園』『復楽園』など。

1618年 山崎闇斎……江戸時代前期の儒学者・神道家。「垂加神道」創始。

1842年 クロポトキン……ロシアの思想家・革命家。「無政府主義」提唱。

1868年 ハーバー……ドイツの物理化学者。「アンモニアの工業的合成法」開発。

1879年 スターリン……ソ連の政治家。レーニン没後に共産党書記長・首相となり、独裁権力をふるう。


● 今日亡くなった人

1641年 ヴァン・ダイク……フランドル出身イギリスの肖像画家。代表作『サムソンとゴリアテ』『英国王妃ヘンリエッタ・マリアの肖像』など。

1916年 夏目漱石……明治・大正期の小説家。代表作『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』など。「近代日本文学界の巨星」

1945年 吉田栄三 (初代)……明治・大正・昭和期の文楽人形遣い。

1989年 開高健……昭和期の小説家。代表作『裸の王様』『日本三文オペラ』『玉、砕ける』など。

2015年 野坂昭如……昭和・平成期の小説家。代表作『アメリカひじき』『火垂るの墓』など。


● 過去のマイブログ「12月9日」のテーマ

2015年  「文楽人形遣い名人」 吉田栄三
弁慶などの荒物から、他に追随を許さない内面的な演技まで、4世吉田文五郎と共に、文楽人形の全盛期を創りあげた吉田栄三(よしだ えいざ) が、1945年に亡くなった日です。1872年、今の大阪市南区に玩具の人形作りの子に生まれた吉田栄三(本名・柳本栄次郎)は、母方の叔母が女義太夫で、幼いころから義太夫節に親しみました。その叔母が人形遣いの吉田栄寿と結婚したことから、1883年にその紹介で……。

2014年 「アンモニア合成法」 のハーバー
空気中の窒素と水素を混ぜ合わせ、アンモニアを作ることに成功した物理化学者、電気化学者のハーバーが、1868年に生まれた日です。ドイツ(いまのポーランド・ブロツワフ)にユダヤ系染料商人の子に生まれたフリッツ・ハーバーは、ギムナジウム(中高一貫校)のころから、自宅を化学の実験室に使うほど化学に興味を示し、1886年からベルリン、ハイデルベルク、チューリッヒ各大学で本格的に化学を学び、1894年に南ドイツのカールスルーエ工科大学の助手となりました……。

2013年 尊王愛国を説いた山崎闇斎
江戸時代前期の儒学者・神道家で、幕末の志士たちに大きな影響を与えた山崎闇斎(やまざき あんさい)が、1619年に生まれた日です。鍼(はり)医の子として京都に生まれた山崎闇斎(名=敬義、闇斎=号)は、幼いころから比叡山延暦寺の稚児となり、1632年に京都・妙心寺に移って僧となりました。1936年には実力を評価されて土佐国(高知)・吸江寺に移り、土佐南学派の谷時中から朱子学の手ほどきを受け、同門の野中兼山らと交わるうちに儒学者として身を立てたいと……。

2011年 「おもしろ古典落語」52回目 『豆屋(まめや)』
「八百勝さん、2円借りてきました」「おお、元気にやってきたな、そうか、隠居のおじさんが貸してくれたんだな。ところでおまえさんは素人だ。表通りばかりを商いしてたんじゃいけないよ」「へぇ」「このマス一ぱいが一升だが、十三銭のものなら十八銭、十五銭のものは二十銭という、思いきった掛け値をいわなくちゃいけない。値切る客がいるもんだ。へたをすると損をすることがあるから気をつけて商いをするように、いいね」この前は売り物の名を忘れて失敗したが……。

2010年 『失楽園』 のミルトン
シェークスピアと並び称されるイギリスの大詩人ミルトンが、1608年に生まれた日です。ジョン・ミルトンは、裕福な公証人を父としてロンドンに生まれました。幼いころから英才教育を受け、父の影響から敬けんな清教徒として成長しました。ケンブリッジ大学在学中から、古典研究と詩作にふけり、気高い思想と韻律に満ちた詩集により、世間に認められましたが、卒業後は、政治に熱意をもつようになりました。当時イギリスでは、王党派が市民階級や清教徒を弾圧して……。

2009年 大文豪・夏目漱石
『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる夏目漱石が、1916年に亡くなった日です。夏目漱石は、東京の牛込(新宿区)に、1867年、8番目の子として望まれない生を受けました。そのため、生まれるとすぐに里子にだされるなど、愛情の薄い子ども時代をすごしました。そんな肉親の愛に恵まれなかった体験が、他人への愛に敏感な、内向的で非情な人間観が養われたといわれます。漢文の好きな少年時代をすごした後……。

2008年 柔道の父・嘉納治五郎
講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなど、スポーツの海外への道を開いた嘉納治五郎(かのう じごろう)が、1860年に生まれた日(10.28説有)です。「敵をたおして勝つことだけが目的ではない。技をみがきながら、人間の心とからだをきたえるのが柔道だ」このように信じて講道館柔道をおこした嘉納治五郎は、摂津国(兵庫県)で生まれました。家は、大きな造り酒屋でした。8歳のときに明治時代を迎えた治五郎は……。

2005年 「育児・しつけ教室」(2歳まで) のねらい
「レディバード図書館」の別巻「お母さんお父さんのための育児・しつけ教室」5点は、監修者ウィングフィールド夫妻の代表作であり、本シリーズの本質が綴られているため、5回に分けて、夫妻のコメントを紹介する。「誕生から2歳まで」━━ 子どもは1歳近くなると、お母さんの絵本の読み聞かせに耳を傾け、簡単な言葉を理解できるようになります。しかし、それも5〜6か月の頃から、赤ちゃんに本を読んだり見せたりして普段から親しませておかないと、必ずしも1歳になったからといって……。
投稿日:2017年12月09日(土) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)