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「シオニズム運動」 のワイズマン

今日11月27日は、イスラエルの祖国回復(シオニズム)運動を指導し、初代イスラエル大統領となったワイズマンが、1874年に生まれた日です。

ロシア西部(今のベラルーシ)の小村モトルに、ユダヤ人木材運搬業者の子として生まれたカイム・アズリエル・ワイズマンは、ドイツのベルリン大学とスイスのフライブルク大学で化学を学び、1900年に卒業後は3年ほど、ジュネーブ大学で講師として化学を教えました。いっぽう、ユダヤ人の団結と国家建設をめざすシオニズム運動に参加しました。

1904年イギリスに移住し、マンチェスター大学で化学を教えながら、シオニスト評議会の議長に就任しました。1907年にはパレスチナを訪れ、ユダヤ人はシナイ(エジプト北東部)に戻って国家を建設すること、そのためには、政治的解決と植民の両方が必要だと確信し、この考えを主張するようになります。

1914年に第一次世界大戦が始まると、コルダイト火薬の原料として大量のアセトンが必要になりましたが、当時の製法では大量の木材が必要でしたが不足していました。ワイズマンはイギリスに協力し、バクテリア発酵法の工業化を成功させてアセトンの大量生産法を開発したことで、イギリス政府内のチャーチルやロイド・ジョージ、外務大臣バルフォアと知り合いました。そして、1917年11月「バルフォア宣言」を出させ、パレスチナ(西アジアのヨルダン川と地中海の間の地域)でのユダヤ国家建設をイギリスに約束させることに成功しました。

さらに1919年のパリ講和会議で、アラブ民族運動の指導者だったイラク王子(のちの王)ファイサル1世との間で「ファイサル・ワイズマン合意」に調印し、お互いの民族国家建設のために協力することを約束したことで、世界的なシオニスト運動の指導者となっていきました。

1921年、世界シオニスト機構の代表に選ばれ、イギリスの庇護のもとでユダヤ人のパレスチナ移住運動をおこしました。ところが、先住のアラブ人との間で抗争となったり、イギリス政府が非協力的な態度をしめすようになったことから運動内部にも批判が高まり、一時運動から離れました。しかし、1935年に再度代表に復職し、1946年まで務めました。

1948年3月、イスラエル国建設のための国民評議会が開かれると議長となり、12月に名誉職的な初代大統領に就任(実務は首相が行う)し、翌年自叙伝『試行錯誤』を著し、1952年に亡くなりました。


「11月27日にあった主なできごと」

1095年 十字軍の提唱…ローマ教皇ウルバヌス2世は、この日フランス中部クレルモンの宗教会議で、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するために、聖なる戦いを勧告。これにより、胸に十字の標識をつけた兵士・キリスト教徒が聖地にむけて出発する「十字軍時代」が始まりました。

1769年 賀茂真淵死去…江戸時代中期に活躍した国学者で、本居宣長へ大きな影響を与えた賀茂真淵が亡くなりました。

1894年 松下幸之助誕生…パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者であるとともに、PHP研究所を設立して倫理教育に乗りだ出す一方、松下政経塾を立ち上げて政治家の育成にも意を注いだ松下幸之助が生まれました。

1958年 皇太子婚約発表…皇太子明仁親王(現天皇)と正田美智子さん(現皇后)の婚約がこの日に発表され、美智子さんが民間から出た最初の皇太子妃となることで日本中がわきたち、ミッチーブームがおこりました。
投稿日:2014年11月27日(木) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)