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『ペルシャの市場にて』 のケテルビー

今日11月26日は、イギリスの作曲家・指揮者・ピアニスト・音楽ディレクターとして活躍したケテルビーが、1959年に亡くなった日です。

1875年、バーミンガムに版画師の子として生まれたアルバート・ウィリアム・ケテルビーは、11歳のときに、習作のピアノ・ソナタを音楽祭で演奏し、作曲家のエルガーに賞賛されたほど天才ぶりを示しました。13歳でロンドンの音楽カレッジに入ってホルストに師事すると、さらに才能ぶりを発揮し、16歳でセント・ジョン教会のオルガン奏者に迎えられたころには、ピアノ、クラリネット、オーボエ、ホルン、チェロなど、何にでも対応できる演奏家となりました。

劇場の音楽監督をしながら、軽音楽の編曲・指揮に才能を発揮し、大衆受けするミュージカルをはじめ、さまざまなペンネームを使ってたくさんの曲を作曲しました。レコード会社のディレクターや放送番組のプロデューサーなど、当時新しいメディアでの多彩な活動をしています。

そして1912年、放送番組の穴埋めに書いたといわれる「ファントム・メロディ」のいくつかがヒットしてからは、『ペルシャの市場にて』に代表されるようなエキゾチックな描写音楽を次々に発表し、レコードは売れ、コンサートも大いに受けたといわれています。

いちど聞いたら忘れない描写音楽の傑作『ペルシャの市場にて』は、こんなふうに展開します。
ラクダの隊商がゆったりと市場に近づき、美しく着飾った王女や酋長の行列がシャンシャン音を鳴らしながらたくさんの店の前を通ります。広場ではヘビ使いが笛を吹き、手品師がじゅうたんの上で芸を見せています。やがて、王女たちの行列も隊商たちの姿も消えて、市場に静けさがもどります……。

ペルシア(今のイラン)の市場の情景を、そのまま管弦楽曲として描いたのは、さまざまな楽器を駆使できるケテルビーだからこそできたといえそうです。

日本では、この曲以外にはほとんど知られていませんが、オンライン音楽館「ユーチューブ」では、『修道院の庭にて』『中国寺院の庭にて』『エジプトの秘められた大地』『心の奥深く』など、ケテルビーの描写音楽の名品を聴くことができます。


「11月26日にあった主なできごと」

1086年 院政のはじまり…白河天皇がわずか8歳のわが子に、堀川天皇として位を譲りました。上皇となった白河天皇は、幼い天皇の後見役として政治の実権を握り続けました。上皇のいるところが「院」と呼ばれ、そこで政治が行なわれたために「院政」とよばれます。

1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。

1911年 小村寿太郎死去…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官の小村寿太郎が亡くなりました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジアの探検にそそぎ、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたスウェーデンのヘディンが亡くなりました。
投稿日:2014年11月26日(水) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)