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『夢のなかに』 のフォーレ

今日11月4日は、幻想性と甘美さではとびぬけて魅力のある曲を数多く作曲し、フランス音楽界の巨匠といわれたフォーレが、1924年に亡くなった日です。

1845年、フランス南部ピレネー山脈に近い小村パミエに、地元の師範学校校長の子として生まれたガブリエル・フォーレは、幼少のころから教会のリードオルガンに親しむうちに、オルガン演奏の才能を見出され、9歳でパリに出て古典宗教音楽学校で学びました。1861年には、音楽教師として赴任してきたサン=サーンスにピアノと作曲を師事したといわれています。

1865年に卒業した年に、今も世界的に愛される小品『夢のなかに』を作曲していますから、早熟の天才だったのでしょう。この曲を発表したときは、トスカーナ地方の古い詩に曲をつけた3曲からなる歌曲「3つの歌」の1曲目の歌でした。

「君の幻影をいだいて眠っていると 幸せの蜃気楼を夢みていた 君の瞳はやさしく輝き 澄んだ声にさそわれて 私は地上を離れ 君とともに光の中へ飛んでいった……ああ、しかし夢ははかなく覚めてしまった ああ、夜よ 幻想を返しておくれ もう一度かがやいておくれ 神秘な夜よ!」 
このような夢想的、幻想的な美しい詩に、とろけるようなロマンチックなメロディをつけた作品でしたが、その美しさのおかげで、バイオリンやフルートなどさまざまな編曲が加えられ、器楽曲、とくにチェロで演奏されることの多い名曲となっています。

その後フォーレは、旅行中に訪れたブルターニュ地方のレンヌの教会オルガニストの職を得ると、やがてパリのマドレーヌ教会でオルガニストとなり、1871年にはサン=サーンス、フランクらとともにフランス国民音楽協会の設立に参加。1896年にはマドレーヌ教会の主席奏者のかたわら、フランス国立音楽院作曲教授に任命され、1905年には同院の院長となり、15年にわたりその職務につき、ラベルやシュミットらを育てています。

フォーレの代表曲には、モーツァルトと並び2大名曲といわれる『レクイエム』、歌曲には『夢のなかに』のほかにべルレーヌの詩に曲をつけた『月の光』のほか、『マンドリン』『トスカのセレナード』などは、いまも人気があります。幻想性と甘美さではとびぬけた魅力のある曲が多かったことから、当時のサロンに好意的に迎えられ、生涯にこしらえた曲は、ピアノ独奏曲、管弦楽曲、室内楽曲など120曲以上が知られています。


「11月4日にあった主なできごと」

1847年 メンデルスゾーン死去…世界3大「バイオリン協奏曲(コンチェルト)」の一つと賞賛される『バイオリン協奏曲』をはじめ、『真夏の夜の夢』『フィンガルの洞窟』などを作曲したことで知られるメンデルスゾーンが亡くなりました。

1921年 原敬首相刺殺される…平民宰相といわれた原敬首相が、東京駅で19歳の鉄道員に刺殺されて亡くなりました。当時、原内閣の社会主義運動への弾圧、普通選挙法への反対、シベリア出兵の強行など、資本家の利益につながる政治腐敗に対し、民衆の非難が高まっていました。

1946年 ユネスコ成立…国際連合には、総会、安全保障理事会などさまざまな仕事がありますが、それ以外に経済、社会、文化などを扱う専門機関があります。ユネスコもその一つで、正式には「国際連合教育科学文化連合」といい、それぞれの英文の頭文字だけをとってUNESCO (ユネスコ)と呼んでいます。この日「ユネスコ憲章」が発効し、正式に成立しました。
投稿日:2014年11月04日(火) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)