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「自由民権運動のリーダー」 片岡健吉

今日10月31日は、政治結社「立志社」などを創設して、国会開設を求め、民主主義をめざす反政府運動を展開した片岡健吉(かたおか けんきち)が、1903年に亡くなった日です。

1843年、土佐(高知県)藩の上士(上級武士)の長男として高知城下生まれた片岡健吉は、乾(のちの板垣)退助に少年時代から目をかけられて、藩の役人として順調に出世し、1863年には御普請奉行となっています。明治新政府と旧幕府軍との戦い「戊辰戦争」では、大軍監に任ぜられ、板垣に従って会津若松城攻略などの功を立てました。

維新後は新政府に出仕し、1871年から2年間アメリカやイギリスなどの軍隊を中心に視察、帰国後に海軍中佐となるものの、政府内で征韓論を主張したことで敗れ、板垣とともに、1874年職を辞して帰郷しました。同年、板垣や植木枝盛、林有造らと政治結社「立志社」を創設して代表となると、翌1875年大阪に全国組織「愛国社」(のちの国会期成同盟)の設立に加わり、これらの結社を通して、「自由民権運動」を推進しました。1877年6月には、立志社として「国会開設建白書」を提出しています。

ところが、西南戦争の最中だったことから建白書は受け入れられず、立志社の中に西南戦争をおこした西郷隆盛に呼応して兵を上げる計画が露見して8月に逮捕され、禁錮100日の刑を受けてしまいました(立志社の獄)。これにめげず、1880年、河野広中と共に国会期成同盟の代表として「国会開設建白書」を元老院に再提出するものの、またも不受理となりました。

1881年、自由党の結成に加わり、1884年に自由党解党後は、言論の自由・地租(税金)軽減・自由外交の回復の3項目を要求する「建白運動」をおこし、1887年にその代表として建白書を元老院に提出したところ、政府は、「保安条例」を発布して退去命令を下しました。片岡がこれに従わなかったことから、保安条例違反で逮捕され、禁錮2年6か月の刑に処せされてしまいました。

しかし、1890年の第1回衆議院選挙に高知から立候補して当選をはたし、以後、自由党土佐派の最高幹部として議会運営の中心となり、第8回まで連続で当選しただけでなく、1898年から亡くなるまで衆議院議長を務めました。また、1885年から敬虔なキリスト教徒となり、晩年は、同志社第5代代表(現総長)に就任しています。


「10月31日の行事」

ハロウィン…カトリックの諸聖人の祝日である「万聖節」の前夜祭で、古くはケルト人の行っていた収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされています。ハロウィンをアメリカに伝えたのは、1840年代のアイルランド移民でした。名物のおばけちょうちんは、カブで作っていましたが、アメリカには大きなカブがなかったためにカボチャを使うようになったようです。おばけちょうちんを持ち、魔女や妖精、お化けなどに仮装した子どもたちが、近くの家を1軒ずつ訪ねては Trick or treat. (お菓子をくれないといたずらをするよ)と大声をたてます。子どもたちがきた家では、用意しておいたお菓子をわたして、仮装をほめてあげるという楽しいお祭りです。最近は、日本でもよく目にするようになりました。


「10月31日にあった主なできごと」

1517年 95か条の論題…ドイツの神学者ルターは、ローマ教会の免罪符の発行などを批判する「95か条の論題」を、ビッテンベルク城教会の扉にはりだしました。これがきっかけとなって、キリスト教の「宗教改革」がはじまりました。
投稿日:2014年10月31日(金) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)