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「野球界の神様」 川上哲治

今日10月28日は、プロ野球「巨人軍」選手として、20年間の通算打率3割1分3厘という記録を残し、同軍の監督となってからは14年間に11度のリーグ優勝と日本一、特に1965年から9年間連続で日本一に導いた川上哲治(かわかみ てつはる)が、2013年に亡くなった日です。

1920年、熊本県人吉市に生まれた川上哲治は、熊本工業学校(現熊本工高)時代に、投手として夏の甲子園(全国中等学校野球選手権大会)で2度準優勝し、優秀選手に選ばれたことで、1938年に巨人軍に入団しました。入団後まもなく、当時の監督藤本定義から打撃の才能を見込まれて打者に転向すると、1939年には史上最年少の19歳で首位打者を獲得しました。

以来、1958年に引退するまでの20年間で、7500打席に立ち、2351安打という高い数字を残しました。内野手の頭上30cmを越える絶妙のライナーは「弾丸ライナー」と呼ばれ、青田昇、千葉茂らと共に第1次巨人黄金時代の打の中心選手として大活躍をしました。また、「ボールが止まって見えた」とか「無駄になる努力はない」など数多く名言を残し、1956年5月に通算2千安打を最初に達成したほか、首位打者5回、本塁打王2回、打点王4回、最高殊勲選手に3回選ばれています。

現役引退後はコーチを経て、1961年に巨人軍監督に就任すると、王貞治・長嶋茂雄というスーパースターの他、堀内恒夫、森昌彦(森祇晶)らを率いて巨人の第2次黄金時代を築き上げ、プロ野球史上空前絶後の「V9」(9年連続日本一)を達成しました。1974年も順位は2位と悪くはないものの、手堅い川上体制に対するマンネリや、長嶋に監督をつがせようとする流れもあって、通算1066勝739敗61分、勝率7割近いという驚異的記録を残し、この年で監督を退任しました。

巨人退団後は野球解説者、野球評論家のかたわら少年野球教室を開いて、後進の指導と普及に努めました。なお、背番号「16」は巨人軍の永久欠番。1965年には、南海ホークスの監督を23年にわたって務めた鶴岡一人とともに野球殿堂入りしています。


「10月28日にあった主なできごと」

1583年 大坂城完成…豊臣秀吉が「大坂(大阪)城」を築きました。1598年の秀吉死後は、遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大坂夏の陣で落城、豊臣氏は滅亡しました。

1749年 ゲーテ誕生…『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた文豪ゲーテが生れました。

1953年 民放テレビ開始…日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。
投稿日:2014年10月28日(火) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)