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「主婦連」 と奥むめお

今日10月24日は、戦前は「婦人セツルメント」を全国に広め、戦後は「主婦連」を設立、初の参議院議員となるなど、消費者・婦人運動を終生にわたり指導した奥(おく)むめおが、1895年に生まれた日です。

福井県福井市に、鍛冶屋の子として生まれた奥むめおは、少女のころから婦人労働問題に強い関心を示し、1916年に日本女子大を卒業後、労働組合期成会の機関紙『労働世界』の記者となると、ある紡績会社に一女工として潜入取材したレポートは、大きな反響を呼びおこしました。

1920年、平塚らいてう、市川房枝らと初の婦人団体となる「新婦人協会」を設立して理事に就任、女性の参政権獲得をめざす運動をくりひろげました。しかし翌年、中心となっていた市川と平塚があいついで協会運営から退いたため、奥の自宅を機関誌『女性同盟』編集部にあて、育児をしながら、刊行を引きつぎました。1922年、同協会がまずめざした、女性の集会の自由をはばんだ治安警察法改正にこぎ着けたものの、協会内に路線対立が激しくなって解散せざるをえませんでした。

翌1923年、奥は自ら「職業婦人社」をおこすと、雑誌『職業婦人』(のちの「婦人運動」)を創刊して、働く婦人たちの自覚や地位の向上をめざしました。また、1928年には婦人消責組合協会を立ち上げて消費者運動にのりだし、1930年には貧しい人々が住む地区に、生活改善や職業指導を目的とする公益施設「婦人セツルメント」(のちの「働く婦人の家」)を東京・大阪を手はじめに、全国に展開しました。

敗戦後の1947年には、第1回参議院議員選挙に国民協同党公認で全国区から出馬し、抜群の知名度から上位当選をはたすと、それ以後も院内会派緑風会所属議員として、1965年に勇退するまで3期18年を務めました。

いっぽう、1948年に「主婦連合会」(主婦連)を結成して会長に就任すると、割烹着としゃもじをシンボルマークに、不良品追放、物価値上げ反対など、消費者利益を守る運動の先頭に立ちました。1956年には主婦連の活動拠点となる「主婦会館」を建設して初代館長となり、1997年7月に満101歳9か月で亡くなるまで、消費者・婦人運動を指導し続けました。


「10月24日にあった主なできごと」

1708年 関孝和死去…江戸時代前期の数学者で、「和算」とよばれる数学の理論を世界的なレベルまで発展させた関孝和が亡くなりました。

1929年 暗黒の木曜日…アメリカのニューヨークにある株式市場で、株が史上最大の暴落をしました。その日が木曜日だったため「暗黒の木曜日」といわれています。5日後にもまた値下がりが続き、わずか2週間ほどで株価が半分以下となって、アメリカ経済は大混乱となりました。多くの人が財産を失い、失業者があふれ、自殺者もでる騒ぎになりました。こうしてアメリカではじまった大恐慌は、全世界をまきこむ「世界恐慌」へつながっていきました。
投稿日:2014年10月24日(金) 05:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)