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「近代批評の先駆」 河上徹太郎

今日9月22日は、芸術や思想の純粋性をもとめる「純粋自我」という批評原理を確立し、文芸評論家・音楽評論家として活躍した河上徹太郎(かわかみ てつたろう)が、1980年に亡くなった日です。

1902年、日本郵船技師だった父の赴任先である長崎市に生まれた河上徹太郎は、第一神戸中学から東京府立第一中学へ編入、1919年に第一高校に入学するものの1年で休学してピアノを習いました。1923年東京帝国大経済学部に入学すると、在学中から同人雑誌や音楽雑誌に評論を発表していましたが、「月刊楽譜」に掲載した「音楽に於ける作品美と演奏美」は特に注目されました。

1926年に卒業すると、本格的に評論活動を開始し、フランス象徴派の影響をうけてバレリーやジイドの作品を翻訳紹介するようになり、その間1929年には、中原中也や大岡昇平らと同人誌「白痴群」を創刊して文芸評論や音楽評論を展開、1932年に『自然と純粋』を刊行したころから、芸術や思想の純粋性をもとめる純粋自我という批評原理を確立したことで、友人の小林秀雄とともに「近代批評の先駆者」といわれるようになりました。

戦時中は、河上の翻訳により、1934年に刊行されたレフ・シェストフの『悲劇の哲学』が発端となって、満州事変以後の思想弾圧や社会不安にさらされている知識人の間に「シェストフ的不安」が流行するきっかけを作りました。また、日本文学報国会に関与し、反西洋的なシンポジウム「近代の超克」にまとめ役の立場で参加したり、「文学界」の編集に尽力したりしました。

戦後は、美と信仰の内的一致を示した評論『私の詩と真実』(1954年)で読売文学賞を受賞し、『日本のアウトサイダー』(1960年・新潮社文学賞)や『吉田松陰』(1968年・野間文芸賞)で、反逆者の精神を追求しました。晩年は、史伝に興味を示し、『有愁日記』(1970年・日本文学大賞)や『時代の跫音(あしおと)』などを著しています。


「9月22日にあった主なできごと」

1791年 ファラディ誕生…電気分解の法則や電磁誘導の法則の発見などの業績により「電気学の父」いわれるイギリスの科学者ファラデーが生まれました。

1852年 明治天皇誕生…父孝明天皇の死後、1867年に即位した明治天皇が生まれました。

1862年 リンカーン奴隷解放宣言…第16代アメリカ合衆国大統領リンカーンは、2年前に合衆国から脱退したアメリカ南部連邦11州との戦い(南北戦争)の最中、「翌年1月1日から奴隷解放を実施する」という歴史に残る宣言を布告しました。

1868年 会津若松城落城…4月の江戸城無血開城のあと、会津藩は、仙台・盛岡・米沢・庄内などの諸藩と同盟して、薩摩・長州などを中心とした官軍とたたかいましたが、この日降伏して開城、半年近くに及ぶ会津戦争は終わりました。

1878年 吉田茂誕生…太平洋戦争敗戦の翌年に首相に就任、以来5期にわたって首相をつとめ、親米政策を推進して日米講和条約、日米安保条約を締結した吉田茂が生まれました。
投稿日:2014年09月22日(月) 05:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)