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「全面講和」 を主張した南原繁

今日9月5日は、戦後に東大総長を務め、教育改革を指導したことで知られる政治学者の南原繁(なんばら しげる)が、1889年に生まれた日です。

現在の香川県東かがわ市に製糖業を営む家に生まれた南原繁は、2歳のときに両親が離婚したため、幼年期から母親の手ひとつで厳しく育てられました。香川県立旧制大川中学を卒業後に上京、第一高校で校長の新渡戸稲造から大きな影響を受け、西洋文明との出会いにより、これまでの儒教によって育まれた人生観を変えることになります。1910年に東京帝国大学政治学科に入学すると「生涯の師」ともいえる内村鑑三に出会い、無教会主義キリスト教の熱心な信者となりました。

1914年に卒業後は、内務省に入省してわが国初となる労働組合法の草案作成など政策の実務経験を積むと、1921年母校の東京帝大法学部助教授に就任しました。ドイツとフランス留学を経て、1925年30歳の若さで小野塚喜平次の後任として教授となり、政治学史を担当。西欧の政治哲学とキリスト教をバックボーンに政治の独創的哲学研究を推し進め、それを通じて国体の疑似宗教を批判、『国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究』他にまとめあげました。

太平洋戦争を含む15年戦争(1930〜45年)中は、学問・思想を圧迫する軍国主義思想に、自由主義の立場から反対を叫びつづけ、1945年に法学部長に就任すると、同僚たちと終戦工作に携わるもののかないませんでした。

敗戦後の12月、東大総長に選ばれて学園の復興、平和国家の再建について積極的に行動しました。その間の学内の演説は広く紹介され、学園の復興や平和国家の再建に積極的に行動するいっぽう、貴族院議員となって憲法審議に加わり、1947年には教育刷新委員会委員長になって、教育改革を指導しました。

1950年1月、東大講堂で連合国と日本が講和を結ぶ際に、国連中心の全面講和とするか、ソ連不参加の単独講和とするか国論が分かれると、「単独講和」を主張した当時の内閣総理大臣吉田茂に対し、米ソ冷戦の中で「全面講和」を主張したために、吉田茂から「曲学阿世の徒」(真理を曲げて世間に媚びる者)と名ざしで批判されました。すると南原は直ちに反論し、決して屈することはありませんでした。「曲学阿世」はこの年の流行語になっています。

同年に退官した後は、学士会理事長を歴任、日本学士院院長在任中の1974年に亡くなりました。アララギ派の歌人としても知られ、福田歓一(政治学史)、丸山眞男(日本政治思想史)ら、たくさんの後継者を育てました。
投稿日:2014年09月05日(金) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)