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「松方コレクション」 の松方幸次郎

今日6月24日は、川崎造船所(今の川崎重工)を30年以上経営して造船界の基礎をこしらえた実業家、国際的に活躍した政治家、絵画・彫刻・浮世絵などを収集した美術収集家として知られる松方幸次郎(まつかた こうじろう)が、1950年に亡くなった日です。

1866年、第6代内閣総理大臣をつとめた松方正義の3男として薩摩国(鹿児島)に生まれた幸次郎は、1884年に東京帝国大を中退後、アメリカのエール大学、フランスのソルボンヌ大学に留学して1890年に帰国。学習院大学の講師になりますが、1891年第1次松方内閣が成立したときから、父の首相秘書官となりました。

1896年父の同郷の友で、「川崎造船所」を創業した川崎正蔵に要請され、31歳の若さで神戸にあった同社の社長に就任します。当時は日清戦争後ということもあり、日本の海運業は著しく発展したものの、造船の大半は海外に発注するのが常でした。松方は積極的に設備投資をし、1905年に第1船台を完成させると、1912年までに4つの船台を設置したばかりか、海外からの技術導入を積極的に進め、船舶用タービンなど特許を所有する欧米の会社と次々と契約し、高度の技術を造船に取り入れて、世界に誇る日本の造船界の基礎を築きました。

ところが、1920年ころからはじまった不況期に、無謀ともいえる多角化戦略のため、1927年の金融恐慌で多額の融資を受けていた主要取引銀行の十五銀行が臨時休業になり、資金繰りが急速に悪化したことで、川崎造船所は破綻してしまいました。この責任をとって松方は退社しますが、同社は1933年に和議成立の手続きを完了し、新社として満州事変を境に景気も上向きとなり会社の再建は軌道にのっています。その後松方は、1936年から衆議院議員を連続3期務め、国民使節として渡米するなどで国際的に活動しました。

でも、松方幸次郎の名を決定づけているのは、松方が大正初期から昭和初期にかけて収集したぼう大な「松方コレクション」でしょう。イギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクションは、モネやルノアールらの西洋絵画、ロダンの「考える人」「地獄の門」「カレーの市民」「バルザック」などの彫刻、日本の浮世絵が中心です。松方コレクションのうち、近代フランスの絵画・彫刻等約370点は、東京・上野にある国立西洋美術館に収蔵されて公開されていますが、同美術館の収蔵品は、松方の収集品全体からみればごく一部で、多くは散逸してしまったといわれています。また、約8000点の浮世絵コレクションは、東京国立博物館の所蔵となっています。


「6月24日にあった主なできごと」

672年 壬申の乱…古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まりました。大海人皇子(のちの天武天皇)と大友皇子の争いで、およそ1か月続きました。

1611年 加藤清正死去…豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった加藤清正が亡くなりました。1562年に誕生した日でもあります。

1788年 田沼意次死去…江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次が亡くなりました。

投稿日:2014年06月24日(火) 05:42

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)