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「辞書」 のウェブスター

今日5月28日は、『アメリカ版英語辞書』をはじめ『スペリング』などの教科書を著し、「アメリカの学問・教育の父」といわれるウェブスターが、1843年に亡くなった日です。

1758年、アメリカ建国13州のひとつコネティカット州ハートフォードの農園に生まれたノア・ウェブスターは、読書の好きな子どもで、独立戦争のさなかにエール大学に通学を始めるものの順調に授業が進まなかったため、独立戦争に参戦します。この体験から政治的な独立とともに、言語も独立すべきという精神基盤が作られました。1781年に法学位をとると、アメリカ各地の小学校に教師として勤務してみると、どの学校も、教科書の数が十分でない上に、イギリスの教科書で使いづらいことに気づきました。

そこでウェブスターは、1783〜85年に「スペラー」(つづり)、「グラマー」(文法)、「リーダー」(読本)の3巻で構成された教科書を出版すると、アメリカじゅうで使われるようになり、1861年までに年間の販売数が100万部に到達したといわれています。とくに1巻目の「スペラー」は、1890年までに7千万部も売れ、聖書につぐベストセラーを記録するほどでした。

1793年にウェブスターは、ワシントン新政府との交流を深めるためニューヨークに移住して日刊紙や隔週誌を発刊しましたが、1800年以降は、コネチカット州ニューヘブンにもどって、『アメリカ版英語辞書』を書き始め、語源の調査のために、アングロサクソン語やサンスクリット語など26の言語を学びながら、地域によってまちまちなスペリングや発音、語法などを標準化することを願って、1828年に初版を刊行しました。収録語7万語のうち、1万2千語がこれまで辞書に収録されたことのない単語でした。

その後もたびたび改訂され、辞書の代名詞ともいえる『ウェブスター辞典』の基になり、今も改訂・増補されています。


「5月28日にあった主なできごと」

1634年 出島の建設開始…キリスト教の信者が増えることを恐れた江戸幕府は、ポルトガル人をまとめて住まわせるために、長崎港の一部を埋めたてた出島の建設を開始、2年後に完成させました。1639年にポルトガル人の来航を禁止してから無人になりましたが、1641年幕府はオランダ商館を平戸から出島に移転させ、オランダ人だけがこの島に住むことが許されました。鎖国中は、オランダ船が入港できた出島がヨーロッパとの唯一の窓口となりました。

1871年 パリ・コミューン崩壊…普仏戦争の敗戦後、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されましたが、この日政府軍の反撃にあい、わずか72日間でつぶれてしまいました。しかし、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえています。
投稿日:2014年05月28日(水) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)