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『蝶々夫人』 の三浦環

今日5月26日は、日本で初めて国際的な名声をつかんだ女性オペラ歌手の三浦環(みうら たまき)が、1946年に亡くなった日です。

1884年、東京・芝に公証人の子として生まれた環は、幼いころから母に長唄、琴、日本舞踊などを学ぶうちに音楽の才能を見せ始め、1900年に東京音楽学校(東京芸術大の前身)に入学して無理のない発声法を身につけると、1903年日本初のオペラ公演でグルック作『オルフェウス』のエウリディーチェを歌って高く評価されました。卒業後は母校の助教授を務めて、関谷敏子や山田耕筰らを育て、1911年に創立した帝国劇場の声楽指導兼専属プリマドンナとなって『熊野』などの創作オペラで活躍しました。

1914年にドイツへ留学するものの第1次世界大戦がはじまったために戦禍をさけてイギリスに移ると、世界的指揮者ヘンリー・ウッドに見いだされ、1915年にロンドン・オペラハウスで、プッチーニ作『蝶々夫人』(明治初期の長崎を舞台に、没落藩士の令嬢「蝶々さん」とアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛悲劇を描いた作品)を演じて大成功をおさめました。

英国デビューの成功を受けて翌年、アメリカのシカゴ・オペラに招かれて渡米すると、シカゴを皮切りにし、ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコなど全米各地で、『蝶々夫人』ばかりでなく、『お菊さん』『あやめ』『ラ・ボエーム』などで主演し、熱狂的に迎えられました。

以後アメリカを中心に、21年間も世界を舞台に大活躍し、『蝶々夫人』は欧米各地で演じられ、1935年イタリアのシチリア島パレルモ公演では、『蝶々夫人』出演2000回を達成したといわれています。

1936年に帰国、歌舞伎座での『蝶々夫人』の上演を成功させるものの、第2次世界大戦の勃発により音楽活動を禁じられると、山中湖付近に移住して『歌劇お蝶夫人』を著したり、ラジオ出演するなど戦火を逃れて余生を送りました。


「5月26日にあった主なできごと」

1180年 以仁王・源頼政の死…保元の乱、平治の乱を経て平清盛 が台頭し、平氏政権が形成されたことに対し、後白河天皇の皇子以仁王(もちひとおう)と源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画。これが露見して追討を受け、宇治平等院の戦いで敗死しました。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、治承・寿永の乱が6年間にわたって続き、鎌倉幕府誕生の前哨戦となりました。

1467年 応仁の乱…10年以上も続いた日本最大の内乱といわれる応仁の乱が、本格的な戦闘に入りました。

1877年 木戸孝允死去…西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新の三傑」の一人で、明治新政府でも活躍した木戸孝允が亡くなりました。

1933年  滝川事件…京都帝国大学の滝川(たきがわ)教授の休職を、国が一方的に下す思想弾圧事件「滝川事件」がおきました。京大事件とも呼ばれます。
投稿日:2014年05月26日(月) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)