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「自然詩人」 ワーズワース

今日4月23日は、イギリスの代表的なロマン派詩人で、自然讃美の詩をたくさん残したワーズワースが、1850年に亡くなった日です。

1770年、北西イングランドの「湖水地方」と呼ばれる美しい湖と山岳からなる地域のコカマスに弁護士の子としとて生まれたウィリアム・ワーズワースは、少年時代から山野を歩き回って自然と親しみますが、7歳のときに母を、13歳のときに父を失い、おじの世話で成長し、1787年ケンブリッジ大学のカレッジに入学しました。

在学中にフランスへ渡り、革命後のフランスに感動したことで、大学卒業後の1791年、ふたたびフランスに渡りました。九月虐殺などの恐怖政治に幻滅するいっぽう、フランス人のアネット・バロンと恋に落ち、1792年に娘をさずかったものの、ワーズワースは経済的理由などからひとり帰国しました。罪の意識やふさいだ気持ちを、詩集『夕べの散策』『風景小品集』『罪と悲しみ』などに著すものの不評で、精神的危機におちいりました。しかし、妹ドロシーのはげましと、1795年に出会った詩人コールリッジと親交を結ぶことで立ち直ることができました。

1798年、コールリッジと共著で出版した『抒情歌謡集』は、イギリスロマン主義の幕あけをつげる革新的な詩集といわれています。ワーズワース19編、コールリッジ5編の詩からなる作品集の序文に、詩とは「人間の心情の自然な発露」とし、人間の内部の感情を話し言葉を使ってすなおに表現すべきと主張したことは、従来の詩が様式的で修辞を重んじていたのに対する画期的な挑戦でした。このロマン派の流れは、やがてバイロン、シェリー、キーツらに引きつがれ、イギリス文学史上の重要な詩人の多くが、この運動のなかから生まれています。

その後ワーズワースは、ドロシーと共にドイツを旅行し、自伝詩『序曲』(1805年完成)を書きはじめたほか『ルーシー詩篇』を含むたくさんの代表的な詩を書き、1799年末に帰国すると、湖水地方の湖畔にコテージをかまえ、80歳で亡くなるまで、生涯妹ドロシーとともにここに住みました。

なお、ワーズワースの作品のうち、高く評価されているのは1795年〜1805年の10年間に書かれたものがほとんどで、「偉大なる10年間」といわれています。晩年は保守的になって作品に生気がなくなりましたが、1843年にはイギリス王家が与える称号「桂冠詩人」に選ばれています。


「4月23日にあった主なできごと」

1616年 シェークスピア死去…『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『べニスの商人』などイギリスのエリザベス朝演劇を代表する劇作家シェークスピアが亡くなりました。

1863年 寺田屋騒動…薩摩藩主の父で事実上の指導者島津久光の公武合体論に不満を持った薩摩藩の過激派、有馬新七ら6名は伏見の船宿寺田屋に集まり、幕府の要人の襲撃を謀議中、久光の命を受けた藩士らに殺されました。この事件によって朝廷の久光に対する信望は大いに高まり、久光は公武合体政策を実現させるために江戸へ向かいました。

1949年  1ドル360円…GHQはこの日、日本円とアメリカドルの交換レートを1ドル360円と定めました。このレートは1971年まで22年間にわたって維持されました。ちなみに、明治初期の1ドルは1円と定められていました。
投稿日:2014年04月23日(水) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)