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「鉄の女」 サッチャー

今日4月8日は、イギリス初の女性首相を11年間つとめ、「新自由主義」に基づく独自の政治を行ったサッチャーが、2013年に亡くなった日です。

1925年、イングランド東部リンカンシャー州のグランサムに食糧雑貨商でメソジストの敬けんな信徒の子として生まれたマーガレット・サッチャー(旧姓・ロバーツ)は、家訓の「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神のもとに育てられました。地元の高校を卒業後、奨学金をえてオックスフォード大学のカレッジで化学や自然科学を学び、在学中に同大の保守党連盟議長をつとめました。

1947年に卒業すると、研究者の道に進みますがその間も政治活動をつづけ、1951年に結婚したころから法律の勉強をはじめ、1954年に弁護士免許を取得しました。1959年に下院議員に初当選を果たすと、年金・国民保険省の政務次官をへて、1970年からヒース内閣で教育科学相として入閣を果たしました。この時、教育関連予算を削減する必要に迫られたサッチャーは、学校での牛乳無償配給の廃止を決めたことで、「ミルク泥棒」とののしられながらも、断固方針をまげませんでした。

1975年2月の保守党大会で、対立候補のヒースを破って保守党党首に就任すると、政権をにぎる労働党の内外にわたる政策を、実践とイデオロギー両面から徹底的に攻撃したことで、ソ連国防省機関紙から「鉄の女・サッチャー」と非難されました。ところがサッチャー自身はこの呼び名が気に入り、メディアでも取り上げられたことでサッチャーの代名詞として定着しています。そして、イギリス全土で、広範なストライキがおこり、公務がマヒするという状況のもとで行われた1979年の選挙で、経済の規制緩和、水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空の民営化によるイギリス経済の競争力を強化するという公約を掲げたサッチャーは、保守党を大勝に導き、首相の座につきました。

サッチャーは、国営企業の民営移管推進、公共投資の削減、政府の市場への介入の抑制、インフレ抑制などの基本方針 (この方針は「新自由主義」とよばれています) を実施しましたが、失業の大幅な増大や企業倒産を招いたうえ、多くのストライキ打破を強行したことで、1981年には支持率が低下し、25%を下回るまでに急落してしまいます。ところが、1982年4月、南大西洋でフォークランド紛争がおこり、アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーはすぐさま艦隊、爆撃機をフォークランドへ派遣し、多くの艦艇を失ったものの、宣戦後わずか10週間でアルゼンチン軍を降服させたことで、支持率はいっきに73%にはねあがり、国民の信頼を取りもどしました。1983年の総選挙でも圧勝して2期目に入り、1979年の基本方針を断行しました。1987年の総選挙でも圧勝して、イギリス史上初の3選をはたしますが、3期目に入ってからは閣僚間の意見の不一致がめだちはじめ、1990年11月に引責辞任し、1992年からは貴族院議員となるものの、政治の表舞台から退きました。


「4月8日の行事」

花まつり (シャカの誕生日)…今日4月8日は、今から二千数百年も昔、仏教を開いたシャカ(釈迦)が誕生した日と伝えられ、灌仏会(かんぶつえ)、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)などといわれます。また、花の咲きにおう春に行なわれたことから「花まつり」とよばれて、日本各地のお寺では、花で飾った小さなお堂の中に、釈迦の誕生仏を安置して、お参りにきた人は甘茶をそそいでお祈りをする、はなやかな仏教の行事になっています。


「4月8日にあった主なできごと」

1147年 源頼朝誕生…平安時代末期に源義朝の3男に生まれ、平治の乱で敗れて伊豆へ流されるも平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定して、はじめて武士による政権となる「鎌倉幕府」を開いた源頼朝が生まれました。

1350年 吉田兼好死去…清少納言の『枕草子』と並び、随筆文学の傑作『徒然草』を著わした僧侶で歌人の吉田兼好が亡くなりました。

1820年 ミロのビーナス発見…ギリシアのミロス島で、ひとりの農夫が両腕の欠けた美しい大理石の女神を発見。島の名にちなんで「ミロのビーナス」と命名されました。古代ギリシア時代の一級彫刻作品として、パリのルーブル美術館が所蔵しています。
 
1973年 ピカソ死去…スペインが生んだ世界的な画家・版画家・彫刻家・陶芸家のピカソが、この日92歳で亡くなりました。
投稿日:2014年04月08日(火) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)