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『檸檬(レモン)』 の梶井基次郎

今日3月24日は、生前はほとんど無名のまま夭折したものの、没後に高く評価されている作家・梶井基次郎(かじい もとじろう)が、1932年に亡くなった日です。

1901年、大阪に生まれた梶井基次郎は、父の転勤と共に東京や三重県・鳥羽などで病弱な少年期をすごしますが、1919年に旧制北野中学を卒業後、エンジニアを志して旧制三高理科(現・京都大総合人間学部)に入学。ところが、中谷孝雄、外村繁らと交わるうち文学をめざすようになり、授業にもでなくなって肺結核を発病、転地療養を余儀なくされました。復学するものの退廃的生活を送るようになり、このころの生活ぶりは、泥酔してラーメン屋の屋台を引っくり返したり、けんかしてビール瓶でなぐられたり、家賃がたまった下宿から逃亡したり、料亭の池に飛びこんで鯉を追ったりと、その無頼ぶりは、学生たちの間で評判になるほどでした。

1924年、東京帝大英文科に進学すると、翌1925年、中谷、外村ら友人たちと 同人誌「青空」を創刊し、京都に下宿していた時代に不治の病といわれていた肺結核と宣告された直後の気持、思春期の不安や焦燥を描きこんだ『檸檬』や『城のある町にて』を発表すると、翌年病状が悪化したことで大学を中退、伊豆湯ヶ島温泉で療養生活に入りました。

その後も死への恐怖におびえながらも、『冬の日』『冬の蝿』『桜の樹の下には』『闇の絵巻』などを「青空」に発表、自身の病とまっすぐに向き合いながら、自己と外界との認識を深めた短編をつづっていきました。1928年に病状がいっそう進んだことで郷里の大阪へ戻り、1931年に『交尾』を発表すると、三好達治ら友人たちが力を合わせて梶井の作品集『檸檬』を刊行しました。

そして最期の年となる1932年1月、結核患者の静かな日常を描いた『のんきな患者』を「中央公論」に発表したことで、生涯初の原稿料を受け取りました。この作品を正宗白鳥や直木三十五らが新聞時評で採り上げたことで、世間は梶井の存在を知ることになりましたが、それもごく一部の人たちだけでした。翌3月に入ると、病は急速に悪化し、この日31年の生涯を閉じてしまいました。

梶井の作品はわずか20編の短編しか遺されていません。にもかかわらず、どの作家にもない独自の短編群は珠玉の名品といわれるようになり、文芸評論家の小林秀雄をはじめ、三島由紀夫、井伏鱒二、吉行淳之介、伊藤整、武田泰淳、福永武彦、安岡章太郎、開高健ら世代や個性の違う多くの作家たちに高く評価されて、教科書に載るまでにもなり、近代の古典の地位を占めるようになっています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『檸檬』をはじめとする代表作を読むことができます。


「3月24日にあった主なできごと」

1185年 平氏の滅亡…一の谷、屋島の戦いに敗れた平氏は、源義経の率いる水軍を、壇ノ浦(山口県・下関市)で迎えうちました。この日の正午近くに戦闘が始まり、平氏は西から東へ流れる潮流にのって有利に戦いを進めていました。ところが、3時過ぎになって潮流が逆になると形勢は逆転。敗戦を覚悟した平氏は、次々に海に身を投げていきました。この「壇ノ浦の戦い」で平氏は滅亡、以後源頼朝の支配が確立しました。

1603年 エリザベス女王死去…「グッド・クィーン・ベス」(すばらしい女王、エリザベス)という愛称で国民からしたわれたエリザベス1世が亡くなりました。

1870年 本多光太郎誕生…明治から昭和にかけて、日本の科学の基礎をきずき、長岡半太郎と並んでその力を世界に示した物理学者本多光太郎が生まれました。

1905年 ベルヌ死去…『80日間世界一周』『海底2万マイル』『十五少年漂流記』などを著し、ウェルズとともにSFの開祖として知られるフランスの作家ベルヌが亡くなりました。
投稿日:2014年03月24日(月) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)