おもしろ「言葉」のおこり 10
● 気の毒
もともとは、自分の心や気分にとって毒になること、気がもめたり気がかりになったりして腹立たしく思うこと、自分に苦痛があること──などを「気の毒」といったようです。このように、自分自身への言葉だったのが、たとえ他人の苦痛でも自分の心を痛めるということで、いつのまにか、他人への同情をあらわすものになりました。
● 手塩にかける
室町時代の頃から、膳の不浄を清めるとともに、各自の好みで料理の味かげんをするために、食膳に少量の塩が盛られるようになりました。つまり、自分の手で塩加減をしたわけですが、これがもとになって手にかけて世話をすることを「手塩にかけて」というようになりました。
● きざ
言葉、服装、態度などが気どっていて反発をかんじさせるときに「きざなヤツ」などといいますが、もともとは「気障り(きざわり)」からおこった言葉です。きにかかるということが、不快を感じさせるいやみなことへと変わってきたのです。
● くしゃみ
むかし、くしゃみをすると早死にするという言い伝えがあり、くしゃみをしたときは、「糞くらえ」などとまじないの言葉をとなえると、早死にが防げるといわれてきました。このクソクラエが、クサハメ(ハメは、食えの意)に、クソハメがクサメになり、このクサメがなまって、クシャミとなったようです。
このように言葉というのは、長い間に、少しずつ変わっていくものですね。短期間に変わってきたのを実感するのは「こだわる」という言葉です。些細なことにとらわれるといった、あまり良くない意味に使われていました。それが、最近では些細な点にまで気を配る──思い入れがあるというように、良い意味に変わってきています。それをみんなが使いだすと、辞書にも記されるようになったばかりか、そのうち「以前は、些細なことにとらわれすぎる」という意味に使われていた、などと注釈が出たりするのかもしれません。