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中国の暗部

広州でのもう1日は、ホテル周辺を歩きまわり、中国の一般の人たちの暮らしぶりを探訪してみることにした。まず、気がついたことは、交通マナーの悪さだ。メインとなる幅15mほどの道路の多くは、道路を横断させないために中央に金網が張ってあるが、幅10mほどの一般道路では、歩行者は車の合間を練るように横断していく。近くに信号があっても、ほとんど信号まで行こうとしない。赤信号でも平気で歩いて行くし、バイクも赤信号でも突っ込んできて左折するのは当たりまえ。交通ルールを守って赤信号で待っていたら、リヤカーをひっぱっている自転車に乗った親父がドスンとぶつかってきた。謝るかと思ったら、何で渡らないのだというような顔をしている。ひどいものだ。

それから、物が安いのはよいがすぐにお金をごまかす。前回つづった2元のエビの例でいえば、2.5元でレジを打ってきた。この時はレシートをもらったためにすぐに気づき訂正させたが、レストランでも、スーパーみたいな店でもわざと間違う。タクシーでも、意識的に遠回りしたり、メーターをごまかしたり、まったくうかうかできない。

地元の人たち相手のアメ横のようなショッピングセンターに入ってみたら、真昼間から店員同士が何人か集まってトランプや将棋などに興じている。裏通りを歩いていたら、突然水が落ちてきた。4、5階の住人が窓から捨てたと思われる。バクチに興ずる若者、ところかまわずツバを吐き散らす、路地で小便をする、道端にハダカで寝そべる…。夜はとても歩けない雰囲気だ。

見本市会場ではどのブースも英語が通用するが、レストランなどちょっと一般のお店に入ったら、英語はまったくといってよいほど通じない。英語が話せるのは一部のエリートだけなのかも知れない。私の印象でいえば、中国が文明国の仲間入りができるのは、30年以上も先のことだろうと思う。

投稿日:2005年11月07日(月) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)