香港は、香港島と、対岸の九竜半島、およびその外側の新界と周辺の島々に大きく分けられる。イギリスはそのすべてを1997年に、中国に返還した。
香港がイギリスの植民地になったのは、1840年に始まったアヘン戦争がきっかけだった。当時イギリスは、中国(清)との貿易赤字を解消しようと、ケシから取れる麻薬であるアヘンをインドで栽培させ、大量に中国へ密輸出した。清がこれを本格的に取り締まりはじめたため、イギリスは清に戦争をしかけ、1842年に南京条約を結び、まず香港島をイギリス領とした。ついで、1860年に同じような第2次アヘン戦争(アロー戦争)をおこし、北京条約で九竜半島もイギリス領とした。さらに、1898年に新界と周辺の島々を99年間の期限付で中国から租借することになった。こうして香港は、ヨーロッパ諸国のアジア侵略という時代の流れの中で、イギリスの植民地となったわけである。
新界の租借期限である1997年が近づくと、中国は香港全体の一括返還をイギリスに要求するようになり、1984年の中英共同宣言でイギリスは、1997年に香港全体の主権を一括して中国へ返還するかわりに、香港を「特別行政区として自治権をみとめ、返還後50年間は資本主義を維持する」ことを条件にした。
こうして中国というひとつの国家に、社会主義と資本主義の2つの制度が並存することになったわけである。