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最新記事【2017年12月25日】


● 今日(12月25日)の主なできごと

800年 カール大帝即位……カール大帝 (シャルルマーニュ)は、この日聖ピエトロ寺院で、ローマ教皇からローマ皇帝として戴冠された。大帝は、ゲルマン民族の大移動以来、混乱した西ヨーロッパ世界の政治的統一を達成、フランク王国は最盛期を迎えた。

1897年 赤痢菌の発見……細菌学者志賀潔は、この日赤痢菌の病原菌を発見したことを「細菌学雑誌」に日本語で発表した。しかし、当時の学会はこれを承認しなかったため、翌年要約論文をドイツ語で発表、この論文で世界的に認められることになった。

1926年 ブラウン管テレビ受像に成功……この日、浜松高等工業の工学者高柳健次郎が、日本で初のテレビのブラウン管に「イ」の文字を写し出す実験に成功した。戦後に高柳は、日本ビクターに弟子と共に入社し、NHK、シャープ、東芝と共同でテレビ放送技術とテレビ受像機を完成させ、「日本のテレビの父」と呼ばれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

クリスマス/キリストの降誕の日……イエス・キリストの降誕を記念する日。イエスがこの日に生まれたという確証はないが、4世紀前半、教皇ユリウス1世が「イエスの生誕の日は12月25日」と定めた。冬至の時期であるこの日前後には異教の祭が重なっており、キリスト教側が布教拡大をねらってこの日をイエス生誕の日としたものと見られている。教会では、お祝いのミサが行われるが、今では宗教を越えた年末の国民行事となっている。

昭和改元の日……1926年のこの日、大正天皇が死去し、皇太子で摂政だった裕仁親王が天皇に即位し、「昭和」となった。

スケートの日……1861年のこの日、函館に滞在していたイギリスの探検家ブラキストンが、日本で初めてスケートをしたことにちなみ、日本スケート場協会が1982年に制定。


● 今日生まれた人

1538年 前田利家……安土桃山期の武将。豊臣政権「五大老」の一人。加賀藩主前田氏の祖。

1642年 ニュートン……イギリスの物理学者・数学者・天文学者。万有引力の法則、数学の微積分法、光の波動説などを発見。力の単位N(ニュートン)の名の由来。

1861年 ウェストン……イギリスの登山家・宣教師。日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』などを著す。「日本近代登山の父」

1883年 ユトリロ……フランスの画家。代表作『コタンの袋小路』『パリのサント=マルグリート教会』『ラヴィニャン街の眺め』など。

1886年 石井漠……大正・昭和期の舞踊家。「モダン・ダンス」の先覚者。

1895年 金子光晴……明治・大正・昭和期の詩人。代表詩集『落下傘』『こがね蟲』『鮫』など。

1904年 舟橋聖一……昭和期の小説家・劇作家。代表作『花の生涯』『新・忠臣蔵』『ある女の遠景』『好きな女の胸飾り』など。

1926年 植木等……昭和・平成期のタレント・俳優・ミュージシャン。クレージー・キャッツ(ギター・歌)、「無責任男」シリーズなどで一世を風靡。

1932年 江藤淳……昭和・平成期の文芸評論家。代表著作『成熟と喪失』『海は甦える』『漱石とその時代』など。


● 今日亡くなった人

1783年 与謝蕪村……江戸時代中期の俳人・画家。松尾芭蕉・小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠。『山水図』など、画家としても超一流。

1866年 孝明天皇……第121代天皇。幕末期に、尊攘派志士らの過激な討幕運動に反対し、妹和宮を将軍家茂に嫁がせるなど公武合体の立場をとる。明治天皇の父。

1928年 小山内薫……明治・大正・昭和期の劇作家・演出家。日本の演劇界・映画界の革新に貢献。

1938年 チャペック……チェコの小説家・劇作家。代表作『人造人間(ロボット)』『虫の生活』『ひとつのポケットから出た話』など。

1961年 矢内原忠雄……大正・昭和期の経済学者。東大総長歴任。代表著作『帝国主義下の台湾』『聖書講義』など。

1977年 チャップリン……イギリス出身アメリカの映画俳優・監督・脚本家・プロデューサー。代表作『黄金狂時代』『街の灯』『モダン・タイムス』『独裁者』など。

1980年 神谷正太郎……昭和期の実業家。トヨタ自販社長となり、月賦販売制度を導入などで売上を拡大し、「販売の神様」といわれた。

1988年 大岡昇平……昭和期の小説家。代表作『俘虜記』『武蔵野夫人』『野火』『レイテ戦記』など。

1993年 矢野健太郎……昭和・平成期の数学者。『解析幾何学』 などの専門書から、『数学の楽しさ』『ゆかいな数学者たち』のような啓蒙書まで幅広い著作。


● 過去のマイブログ「12月25日」のテーマ

2014年 「現代舞踊の父」 石井漠
わが国の舞踊界の先覚者として独自の「創作舞踊」に取り組み、たくさんの後継者を育てた石井漠(いしい ばく)が、1886年に生まれた日です。いまの秋田県三種町に生まれた石井漠(本名・忠純)は、旧秋田中学時代にストライキに連座して退学になり、小坂鉱山の庶務課に短期間勤務後、文学を志して1907年に上京しました。大町桂月や小松耕輔の門をたたくものの……。

2013年  毒殺説が根強い孝明天皇
明治天皇の父で、幕末の混乱期に攘夷を主張し、公武合体の道をつらぬいた孝明天皇(こうめいてんのう)が、1866年に亡くなった日です。1831年、仁孝天皇の第4皇子として生まれた孝明天皇(幼名・煕[ひろの]宮は、1846年に父の死去にともなって16歳で即位すると、海防を厳重にせよと幕府に指示し、以後一貫して攘夷(外国人おいはらい)を主張しました……。

2012年 「良心の経済学者」 矢内原忠雄
戦前は経済学者、植民政策学者として「戦争反対」をうったえ、戦後は東大総長を6年間つとめた矢内原忠雄(やないはら ただお)が、1961年に亡くなった日です。1893年、愛媛県今治市に医者の子として生まれた矢内原忠雄は、教育熱心な父の影響で、神戸のいとこの家から旧制神戸中学を卒業。上京して旧制第一高校に在学中、無教会派のクリスチャン内村鑑三に……。

2009年 俳句と文人画の巨匠・与謝蕪村
[春の海ひねもすのたりのたりかな]などの俳句で名高い江戸時代中期の俳人で画家の与謝蕪村(よさ ぶそん)が、1783年に亡くなった日です。蕪村は、1716年に、摂津国(大阪)の農家に生まれました。少年時代のことはよくわかりませんが、両親を早く亡くし、さみしさをまぎらすためか、いつも文学や絵に夢中になっていたと伝えられています……。

2008年 新劇の父・小山内薫
明治末から大正・昭和初期に演劇界の発展に努めた劇作家、演出家の小山内薫(おさない かおる)が、1928年に亡くなった日です。1923年の関東大震災で、東京は焼け野原になりましたが、次の年、その東京の築地に、わが国で初めての、新劇専門の築地小劇場が誕生しました。小山内薫は、この劇場を演出家の土方与志(ひじかた よし)と力をあわせて建て……。

2007年 ヘンリーおじさんの「音の出るメルマガ」
「ヘンリーおじさんの 音の出るメルマガ」をご覧(お聞き)になっていますか。毎週火曜日と金曜日、週2回配信されています。ヘンリーおじさん(本名ヘンリー・ドレナン氏)は、イギリス人の父親と日本人の母親の間に生まれ、英語も日本語も完璧なバイリンガルです。1960年代はシンガーソングライターとして活躍、クレージーキャッツの谷啓や吉永小百合などに歌を提供……。

2006年  親を信用しない子、道草をする子
これまで7回にわたり、「ダメな子」「良い子」の育て方を併記して綴ってきましたが、先日、ある知人から「○印の良い子の方はいいけど、●印の悪い子の方は、読んでいて気分がよくないからやめた方がいい」というアドバイスをもらいました。そこで、毎日読んでくれている他の人にも意見を聞いてみることにしました。「面白く読んでるよ。良い子ばかりじゃ……。
投稿日:2017年12月25日(月) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)