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ブラキストン線の発見

今日10月15日は、イギリス出身の軍人・貿易商・探検家・博物学者で、「津軽海峡が動物学的分布の境界線」と指摘したブラキストンが、1891年に亡くなった日です。
 
1832年、南イングランドのリミントンに生まれたトーマス・ブラキストンは、少年時代から博物学、特に鳥類に関心をもつ子どもでした。陸軍士官学校を卒業後、クリミア戦争で武勲をあげて大尉に昇進したあと、1857年から1858年にかけて「北アメリカ学術探検隊」に加わり、カナダの鳥類の標本採集や地磁気の観測、ロッキー山脈探検などを行いました。1860年には軍務により中国へ派遣され、揚子江上流域の探検を行うと、暑さを避けるために1862年、3か月間箱館に滞在、探検結果の記録を整理して帰国しました。

除隊したブラキストンは、1863年に再び箱館を訪れ、製材業を志し、日本初となる蒸気機関を用いた製材所を設立しました。しかし、蝦夷地では輸送手段が未開発なために苦戦をしいられたことで、1867年、友人とともにブラキストン・マル商会を設立し、数隻の帆船を所有して国内外の物資輸送に活躍します。こうして貿易商として20年以上にわたって函館で暮し、市の発展にも貢献。函館上水道や、函館港第一桟橋の設計を手がけたり、気象観測の開始にも寄与しています。

ブラキストンは商売の余暇に、北海道、南千島、本州各地の鳥の採集調査を行い、日本の鳥の分布上、「本州と北海道の間の津軽海峡が、動物学的境界線」と考えました。そして、北海道の鳥類・動物は、アムール川(黒龍江)から津軽海峡を境としてシベリア亜区に属すること、本州と北海道では生そく生物に違いのあることを1880年、東京のアジア協会例会で発表し、注目されました。この境界線の発見は、その後、お雇い外国人の工部大学校地震学教師ミルンの提案により、「ブラキストン線」と呼ばれるようになりました。

1884年に帰国、のちにアメリカへ移住したブラキストンは、カリフォルニア州サンディエゴで亡くなりました。函館山の山頂には、「ブラキストン線発見」を記念して、ブラキストンのレリーフをはめこんだ石碑が残されています。


「10月15日にあった主なできごと」

1564年 ベサリウス死去…16世紀神聖ローマ帝国の支配下にあったベルギーの解剖学者で、現代人体解剖の創始者といわれるベサリウスが亡くなりました。

1582年 グレゴリオ暦開始…4年ごとに閏年をおく「ユリウス暦」は1500年以上も使われてきましたが、すでに10日間もの遅れが出ていました。そのため教皇グレゴリウス13世は、以後100で割れても400で割れない年については閏年としないこと、この年の10月4日の翌日は10月15日とすることを決めました。これが今世界のほとんどの国で使用されている「グレゴリオ暦」で、これに変えなかったイギリスは1752年まで、ロシアは1918年までユリウス暦を使用したため、日付にずれが生じています。

1929年 官吏給与1割カット発表…政府はこの日、官吏の給与を1割カットすると突然発表しました。大蔵大臣井上準之助は、長引く不況を乗り越えるには、国民が節約につとめることによって物価を下げ、金輸出解禁にふみこむことが必要と主張。それには政府が模範を示さなくてはと給与カットを発表しましたが、反対にあって1週間後に撤回。しかし、昭和不況が深刻化した2年後の6月に実施されることになりました。
投稿日:2014年10月15日(水) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)