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「フライドチキン」 のサンダース

今日9月9日は、「フランチャイズ方式」で、世界じゅうに「ケンタッキー・フライドチキン」の店を広めたアメリカのカーネル・サンダースが、1890年に生まれた日です。

インディアナ州ルイビルで生まれたサンダースは、父親が6歳のときに亡くなったため、家計を助けるために10歳で農場に働きに出ました。その後、軍隊に入り除隊後は、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保険外交員、フェリーボートやタイヤのセールスなど40種類以上の職を転々としました。30代後半になってガソリンスタンドを経営し、サービスを徹底したことで繁盛しましたが、1929年の大恐慌のあおりを受けて倒産してしまいました。

1930年、ケンタッキー州のコービンで、再度ガソリンスタンドの経営を始めます。まもなく、ガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席のレストラン「サンダース・カフェ」を始めると、州の南北を走る国道に面した店は繁盛し、規模を拡大させて、ケンタッキー知事から「カーネル」の称号を贈られるほどの成功をおさめました。目玉商品は「フライドチキン」で、1939年に導入した圧力釜と11種のスパイスを使った「オリジナル・フライドチキン」を完成させました。

サンダースが、「フランチャイズ方式」といわれる新しいビジネスをはじめたのは、1952年62歳のときです。加盟店から契約料や売上の一部を受け取る店舗方式で、今やファーストフード店やコンビニエンスストアで採用されている日本でもおなじみの方式ですが、当初サンダースの「ケンタッキー・フライドチキン」は、苦戦の連続でした。

1955年、コービンの町外れを高速道路が開通したために、車と人の流れは変わり、国道沿いのサンダース・カフェにほとんど客が入らなくなったためです。65歳で店を手放し、負債を返済すると無一文になってしまいました。唯一の財産はフライドチキンの調理法だけです。でも、サンダースはくじけませんでした。フライドチキンをワゴン車に積み、チキン1羽につき5セント(約5円)をもらうという「フランチャイズ方式」で、各地のレストランを1店1店たずねて回ります。その場で揚げて食べてもらうやり方でしたが、初めのうちはなかなか理解してもらえず、車に寝泊りすることもしばしばでした。そんな地道な努力が実って次第に軌道にのりはじめ、1960年には米国とカナダで400店舗、1963年には、600店以上というアメリカ最大のフランチャイズ網を築き上げたのでした。

翌1964年、サンダースは、フランチャイズの権利を売却して経営の第一線から退きましたが、1980年90歳で亡くなるまで「会社の広告塔」「味の親善大使」として、世界じゅうに広がった6000もの店舗を回って、自ら調理法を教え続けました。日本への進出は、1970年に大阪万博で出店したのが始まりで、その成功によりわが国初のファーストフード店として名古屋に1号店をオープンさせました。以後3度来日し、「自分のやり方を忠実に守っている、日本が一番気に入っている」という言葉を、亡くなる前に残しています。


「9月9日はこんな日」

686年 天武天皇死去…645年におこった大化改新の事業を完成させ、革新の気風あふれた白鳳文化を生んだ天武天皇が亡くなりました。

1828年 トルストイ誕生…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や、随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが生まれました。

1948年 「朝鮮民主主義人民共和国」成立…同年8月に成立した「大韓民国」(韓国)に対抗して、「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が成立し、金日成を首相に選びました。
投稿日:2014年09月09日(火) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)