「子どもワールド図書館」の2007年補遺版を制作していくなかで、最も印象に残ったいくつかを、何回かにわけて記述することにします。
この20数年間で最も大きな変化は、いうまでもなく「東西ドイツの統一」「ソ連の崩壊」「激動する東ヨーロッパ諸国」といってよいでしょう。そしてそれらは、密接に結びついているという事実を知っておかなくてはなりません。
「子どもワールド図書館」の第2巻目「ドイツ」では、なぜドイツが2つの国に分かれてしまったのかを、10ページにわたって次のように詳述しています。
以上の通り、ドイツは第2次世界大戦後、戦勝国によって東西ドイツに分割統治され、国家分断の道を歩んできました。それが、1990年10月3日、劇的に統一を回復しました。しかし、これは一夜にしてなされたものではもちろんなく、1985年に登場したソ連のゴルバチョフ政権のペレストロイカがもたらした最大の成果といわれています。発端は、ゴルバチョフ体制がアメリカやイギリスやフランスなど、西側への対決をあらためたことでした。これに西側世界が呼応して、軍縮などの共同作業を通じて、東西間の信頼関係がしだいに作られていきました。
一方で、自由化をソ連にこばまれてきた東ヨーロッパ諸国の市民が、ソ連のそんな変化をとらえて自立と民主化へ動きだしました。そして、1989年11月、東ドイツに飛び地のようにあった、ベルリン市内の東ベルリンと西ベルリンを分けていた「ベルリンの壁」が崩壊すると、ドイツ統一の機運が急に高まり、だれも予想できなかった速さで、ドイツ統一が実現したのです。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の第2次世界大戦戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利をただちに放棄して、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する形で、統一ドイツ(ドイツ連邦共和国)となり、統一ドイツの首都はベルリンに決定しました。
ドイツの統一によって、第2次世界大戦後からつづいたヨーロッパの戦後秩序(欧州の分断)が終わり、ヨーロッパは対決から統合へ、新しい時代をむかえるにいたりました。
人口、GDPともに欧州ではとびぬけてトップになった新生ドイツに、EU加盟国ばかりでなく、自由主義経済への転換をはかった東ヨーロッパ諸国からも大きな期待がよせられています。しかし、一方で、2つの世界大戦をひきおこしたドイツの過去の歴史にまゆをひそめる人たちがたくさんいることも事実です。統一があまりにも急であったために、ドイツ経済の混乱はいまだにつづいています。大量失業などの難問をかかえながら、ドイツが今後どのような歩みをみせるか、世界中が注目しています。
なお、通貨は2002年にドイツマルクからユーロに完全に替わりました。