前回に引き続き、「せかい伝記図書館」の執筆の中心となっていただいた有吉忠行氏の講演記録・第2回目を紹介する。
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たとえば、テレビと比較してみるだけでも、考える読書がいかに大切かよくわかります。もちろん、テレビがすべて悪いというのではありません。テレビにはテレビの価値があります。しかし、人間の思考という立場から考えると、問題が少なくありません。
第1に、テレビは、まず映像がとびこんできます。それに音もとびこんできます。つまり、人間は、本来、自分の頭で自分の心にイメージをつくりあげることが大切なのに、テレビは、その必要をなくしてしまっています。
次に、テレビの映像は、瞬間的に消え去っていきます。したがって、つぎつぎに流れる映像を見ている限り、ひとところに立ちどまって考えることを許しません。さらに問題として大きなことは、テレビの映像は一方的に送られてくるということです。チャンネルをまわして番組を選べばよいではないかといわれても、根本的には、テレビを見るということは、つねに受身です。主体的な行為ではありません。これでは、人間にとってもっとも大切な主体性が失われていくのは、あまりにも当然です。
テレビが普及しはじめてしばらくしてから、テレビによる日本人の総白痴化が予言されたことがあります。テレビに毒されて、いまに日本人がみんなバカになってしまうことを恐れたのです。でも私は、この予言は決してまちがってはいなかったと思います。まちがっていないどころか、いままさに、その極点にきつつあると思います。
このテレビにくらべると、本を読むということは、主体的な行為です。文字の奥にあるものを読みとって、自分でイメージをつくりださなければなりません。それに、感動的な場面にであったら、いつまででも立ちどまって考えることができるし、さらに何度でも読み返すことができます。そのうえ、本をとおして、過去のいかなる偉人とも語りあうことができます。「せかい伝記図書館」 におさめられているソクラテスや孔子などとも話ができるのは、本の世界だけです。だから読書が大切なんです。