人間の赤ちゃんは、1歳代では同じ年令のチンパンジーより知能が低い。動作の面はもちろんのこと、記憶したり考えたりする面でも劣る。ところが2歳代になると、たちまちチンパンジーを追い抜く。言葉を使えるようになるかららしい。それほど、言葉の発達と思考力には密接な関係があるということなのだろう。ところが最近、子どもたちはお母さんから豊かな言葉を聞くチャンスか少なくなっている。子守りはいっさいテレビにおまかせという家庭が多くなっているのだ。
もちろん、テレビの影響がみんな悪いとはいわない。子どもにとって、おもしろいものが善であり、つまらないものが悪だ。身のまわりに何かおもしろいものがないか、探し続ける好奇心のカタマリみたいな子どもたちにとって、もっとも手っ取り早い興味がテレビなのだから。
テレビは、思うような遊び場所を奪われた子どもたちには、こたえられない存在である。なにしろ、素早い画面展開とヒーローやヒロインが、人間ワザとは思えない超能力を発揮し、次々にあらわれる悪ものどもをなぎ倒す。しかも、スリルとサスペンスに満ちあふれているのだから、子どもたちを魅きつけないわけはない。テレビ文化が成立したおかげで、幼児生活はどれほど楽しく、恵まれたものになったかはかりしれないものがある。
しかし、言葉の大切さ、たくさんの言葉を身につけさせるという視点からみると、テレビという機械には欠点も多いということも知っておきたい。つまりテレビは、相手におかまいなく、一方的に情報を送りつける。だから、視る方は受身で、物事を深く考えなくてもよいし、想像力をはたらかせなくてもよい。本来言葉というのは、人と人との間で、考えを伝えるコミュニケーションの手段である。したがって、子どもの言葉の発達を促進するには、相手になる人を必要とする。
言葉というのは、たまに使用するのでは発達しない。だから、できるだけたくさん練習できる機会をつくることが重要だ。そのためには聞いてあげる相手、親や兄弟、友だちが必要なのである。そして、言葉は何かについて話をするわけだから、話の対象である材料が豊かであり、話をする経験が豊かでなくてはならない。そこに「絵本」の大切な役割があるといってよいだろう。