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2018年版 8月17日はこんな日


● 今日(8月17日)の主なできごと

1807年 蒸気船の試運転……アメリカの技術者で発明家のフルトンが、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功した。

1945年 インドネシア独立宣言……インドネシア独立運動の指導者スカルノは、オランダからの独立を宣言した。オランダは独立を認めず、その後4年間の戦争に突入した。

1949年 松川事件……東北本線の福島県松川市付近で、レールの釘がはずされていたため列車が転覆し、機関士ら3人が死亡する「松川事件」がおきた。この事件は、国鉄(JRの前身)の労働組合や共産党が仕組んだものとされ、労働組合員ら20人が逮捕された。1963年に判決がおり、全員が無罪となったが、この事件をきっかけに政府の労働組合への取り締まりが強化され、日本の労働運動は急速に弱まっていった。当時おきた下山事件、三鷹事件とともに「国鉄3大ミステリー」といわれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

プロ野球ナイター記念日……1948年のこの日、横浜ゲーリッグ球場で日本初のナイター・巨人対中部(現在の中日)戦が行われたことにちなんで制定。「ナイター」という言葉もこの時初めて使われた。

パイナップルの日/プラチナパートナーの日……「パ(8)イ(1)ナ(7)ップル」、「パー(8)トナー(17)」の語呂合せから制定された。なお、「プラチナパートナー」は最高の伴侶を意味する言葉で、伴侶を思いやる記念日。


● 今日生まれた人

1866年 内藤湖南……明治・大正・昭和期の東洋史学者。京都学派の大家。

1926年 江沢民……中国の国家主席。ケ小平引退後の中国最高指導者。


● 今日亡くなった人

1691年 熊澤蕃山……江戸時代前期の儒学者・経世家。

1945年 島木健作……昭和期の小説家。代表作『生活の探求』『土地』など。

1965年 高見順……昭和期の小説家・詩人・評論家。代表作『如何なる星の下に』『高見順日記』など。

1967年 新村出……明治・大正・昭和期の言語学者。『広辞苑』編纂。

2015年 柳原良平……昭和期のイラストレーター。CMキャラクター・アンクルトリスが人気。1931年の誕生日でもある。


● 過去のマイブログ「8月17日」のテーマ

2015年 「昭和の貴重な語り部」 高見順
激動する昭和を、時代の変動とともに生きた定評ある作家・詩人・評論家で、膨大な日記を遺した高見順(たかみ じゅん )が、1965年に亡くなった日です。1907年、今の福井県坂井市に、福井県知事の私生児として生まれた高見順(本名・高間芳雄)は、生後まもなく祖母、母とともに上京。府立一中を経て、旧制一高時代はダダイズムに傾倒し、東京帝国大学英文科に進むとアナキズムや左翼思想にのめりこみ……。

2011年  初の庶民学校を開いた熊沢蕃山
江戸時代の初期、陽明学派の儒者として活躍した 熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)が、1691年に亡くなった日です。1619年、京都で生まれた蕃山(幼名・左七郎)は、母方の祖父、熊沢家の養子となり熊沢姓を名乗ることとなりました。1634年、知人の紹介で備前国岡山藩主・池田輝政の孫にあたる池田光政に仕えます。1642年には一時池田家を離れ、近江国桐原(現・近江八幡市)の祖父の家へ戻ったとき、中江藤樹の門下に入って陽明学を学びました……。

2010年  インドネシア建国の父・スカルノ
インドネシア独立運動の指導者スカルノが、1945年にオランダからの独立を宣言した日です。オランダはこの独立を認めず、その後4年間の戦争に突入しました。インド洋と太平洋の間に、インドネシアがあります。スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスのほか、大小1万3000あまりの島が集まっている共和国です。しかし、1945年に第2次世界大戦が終わるまでは、オランダに支配された植民地でした……。

2009年  蒸気船のフルトン
アメリカの技術者で発明家のフルトンが、1807年、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功した日です。フルトンは、初めて蒸気船をつくった人として知られています。しかし、フルトンのほかにも蒸気船をつくった人は、すでに何人かいました。けれども、実際の役に立ちませんでしたし、ねうちを理解する人もほとんどいませんでした。フルトンは、実用的な蒸気船を発明し、その便利さをおおくの人に伝えました……。

2007年  [おもしろ民話集 10] 青いけむりの羊
昔あるところに、おじいさんの羊飼いが一人で住んでいました。ところが、おじいさんの飼っている羊たちは、みんな気が強くて、おじいさんの言うことなどちっとも聞きません。夕方、羊たちを呼び集めようとしても、みんなしらん顔。だから、おじいさんは、いつもムチをふりまわしながら、かみなりのような声をだして、山をかけまわらなければなりませんでした。ある朝のこと。おじいさんが、かまどで火をもやしていると……。

2006年  さっちゃんのまほうのて
「今の子どもたちに欠けているもののなかで、いちばん気になるのは、自分以外のものへの思いやりの心に乏しいということです。人の心のいたみや、悲しさやさみしさに心から思いを寄せる“やさしさ”が、うすくなってしまっています。口では、だれにでもやさしくと言います。しかし、だれかが一人をのけものにしていたら、自分もその集団に加わってしまうというのが、今の子どものほとんどです……。

2005年  フランチャイズ販売組織の誕生
J・チェーンの倒産により、これまで制作に協力してくれていた印刷、製本業者とのつながりは絶つことになったが、「捨てる神あれば、拾う神あり」のことわざ通り、新たな協力業者がほどなく現れた。絵本の製版を手がけてくれていた静岡市のN社の社長に、窮状を嘆いたところ、気の毒に思ってくれたのだろう。地元の印刷業者を連れて上京してくれた。私は、当社の経営状態は決して楽ではないことを正直に打ち明けた。しかし、新たな販売組織が出来はじめていることも、具体例をあげて説明し、熱意をこめて協力を要請した……。
投稿日:2018年08月17日(金) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)