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2018年版 8月10日はこんな日


● 今日(8月10日)の主なできごと

708年 銅銭「和同開珎」使用開始……この日、銅銭の「和同開珎(かいちん)」の使用が開始された。日本で最初の流通貨幣と言われている。

1232年 御成敗(貞永)式目制定……鎌倉時代の執権北条泰時は、武士の権利、義務、罰則などを51か条に定めた日本で初めての武士の法律『御成敗式目』を制定した。その後長い間、武家社会に関するとり決めの手本となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

道の日……1920年のこの日、日本初の近代的な道路整備計画が決定したことから、建設省(今の国土交通省)が1986年に制定。

帽子の日/宿の日……「ハッ(8)ト(10)」「や(8)ど(10)」の語呂合せから、全日本帽子協会が、また全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(全旅連)が制定。

その他の記念日……「健康ハートの日」「バイトの日」「ホームヘルパーの日」「焼き鳥の日」「トイレの日」など。


● 今日生まれた人

1603年 徳川頼房……江戸時代前期の大名で、御三家の初代水戸藩主。家康の11男。

1830年 大久保利通……薩摩藩士・政治家。西郷隆盛・木戸孝允とともに「維新の三傑」の一人。

1843年 大井憲太郎……明治期の政治家・社会運動家。代表著作『時事要論』『自由略論』など。


● 今日亡くなった人

1651年 丸橋忠弥……江戸時代前期の浪士。「慶安の変」の首謀者の一人。

1693年 井原西鶴……江戸時代前期の俳諧師・浮世草子作家。代表作『好色一代男』『好色一代女』『日本永代蔵』など。

1896年 リリエンタール……ドイツの航空パイオニア。世界初の有人飛行実験中の事故で死亡。「航空工学の父」

1984年 野間省一……昭和期の出版人。戦後の講談社を牽引。

1988年 清水幾太郎……昭和期の思想家・社会学者。代表著作『論文の書き方』『流言蜚語』『日本よ国家たれ――核の選択』など。


● 過去のマイブログ「8月10日」のテーマ

2015年  「慶安事件」 を首謀した丸橋忠弥
江戸時代前期の浪人で、由井正雪らと江戸幕府の転覆を図った「慶安事件」をおこした丸橋忠弥(まるばし ちゅうや)が、1651年に磔(はりつけ)となった日です。丸橋忠弥の出自については、土佐国(高知)に長宗我部盛親の側室の子として生まれたとする説、上州(群馬)出身とする説、出羽国出身とする説などがあります。下級武士として、いちじ加賀前田家の家臣だったようで、やがて江戸へ出てきました……。

2012年 「おもしろ古典落語」81回目 『道灌(どうかん)』
「ご隠居さんの家には、いろんな絵が掛かってますね」「掛け軸が好きでな」「これはどういう絵なんですか? ちょろちょろ流れてる細い川のそばに、しいたけがあおりをくらったような帽子をかぶった男が、虎の皮のももひきはいて突っ立ってる。こっちにゃ、洗い髪の女が、お盆の上にレェスカレーをのっけて、おじぎをしてる…」「何てぇ絵の見方するんだ、八っつぁんにかかっちゃ、かなわねぇな……。

2011年 「おもしろ古典落語」34回目 『夏(なつ)の医者(いしゃ)』
夏の真っ盛り。辺ぴな山村で病人が出ると、医者のいる隣村まで迎えに行かなくてはなりません。鹿島村の勘太が患って食欲がなく、いつもは飯を茶碗7、8杯も食うのに2、3杯しか食えない。年だし、もうだめかとせがれが思っていると、見舞いに来たおじさんが、隣村の玄伯先生に往診してもらえばよかんべと、いいます。隣村といても山裾をまわっていくと、およそ6里、急いでも4、5時間はかかります……。

2010年  航空のパイオニア・リリエンタール
大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツのリリエンタールが、1896年に試験飛行中に墜落して亡くなった日です。オットー・リリエンタールは、1848年ドイツ系ユダヤ人として、ドイツ(当時プロイセン)北東部の都市アンクラームに生まれました。少年のころから鳥の飛行にあこがれ、弟グスタフといっしょに鳥の飛行を観察・記録をするようになりました……。

2009年  庶民文学の創始者 井原西鶴
江戸時代に「浮世草子」とよばれる庶民のための小説を数多く著した井原西鶴(いはら さいかく)が、1693年に亡くなった日です。江戸時代でも、5代将軍徳川綱吉のころになると平和がつづき、武士の権威はしだいに落ちていきました。いっぽうで大商人がぞくぞくあらわれ、町人の世界はいちだんと活気をおびてきました。西鶴は、そういう町人の生活や感情をいきいきととらえ、すぐれた作品を数おおく残した……。

2007年  電車の中の生きたしつけ
ある私鉄の始発電車に乗りこんだときのことです。ホームに並んでいる人の列の中に母親と男の子がいました。電車のドアが開くと、その子どもが列を乱して前の方へ行き、横から割りこむようにして車内へとびこみ、席をとりました。そして、あとから乗りこんできた母親に 「お母さん、お母さん」 と呼びかけました。お母さんのために席を確保してやったのです。母親がそばへくると 「はい、お母さんすわって」 といわんばかりに自分は立ちました。ところが母親は、自分は腰かけないで、横に立っていた女の人に 「どうぞ、おかけになってください」 とすすめました……。
投稿日:2018年08月10日(金) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)