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2018年版 8月3日はこんな日


● 今日(8月3日)の主なできごと

701年 「大宝律令」編纂完了……大宝律令は、日本史上初めて律(罪を犯した人の罰し方などの定め)と令(政治のやり方の定め)がそろって成立した本格的な律令で、「律」6巻・「令」11巻の全17巻から成る政治の基本。681年に天武天皇の命令で、唐の律令を参考に、刑部(おさかべ)親王や藤原不比等らによって進められ、この日に編纂が完了した。757年から施行された「養老律令」も、ほぼ大宝律令を継承している。

1492年  コロンブス第1回西方探検に出航……スペインのイサベラ女王の援助により、旗艦サンタマリア号ほか2隻の船とともにパロス港をこの日に出港。10月12日にサンサルバドル島に到着、翌年3月に帰還したことで、アメリカ新大陸発見の糸口となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

司法書士の日……1872年のこの日、「司法職務定制」が布告され、司法書士の前身である代書人の制度が定められたことから、日本司法書士会連合会が2010年に制定。

はちみつの日/ハサミの日……八(はち)三(みつ)の語呂合せから、全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が1985年に制定し、八(は)三(さ・み)の語呂合せから、美容家で山野学苑創設者の山野愛子が、「針供養」にならって「ハサミ供養」を提唱して1978年から、使えなくなったハサミの供養が行われる。


● 今日生まれた人

1567年 伊達政宗……安土桃山・江戸時代前期の武将。仙台藩60万石の基礎を築く。「独眼竜」

1593年 豊臣秀頼……安土桃山・江戸時代前期の大名。秀吉と淀君の子。大坂夏の陣に敗れ自害。

1879年 岩崎小弥太……大正・昭和期の実業家。三菱財閥4代目総帥。成蹊学園創設。

1907年 三鬼陽之助……昭和・平成期の経営評論家。「財界の御意見番」

1959年 田中耕一……昭和・平成期の科学者。「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」により、2002年ノーベル化学賞受賞。


● 今日亡くなった人

720年 藤原不比等……飛鳥・奈良時代の官人。藤原(中臣)鎌足の子。大宝律令の完成に寄与。

1653年 佐倉惣五郎……江戸時代前期の農民指導者。

1792年 アークライト……イギリスの発明家・実業家。水力紡績機の発明など。

1929年 ベルリナー……ドイツ出身アメリカの発明家。レコード盤蓄音機の発明。

2008年 ソルジェニーツィン……ソ連の小説家。代表作『収容所群島』『イワン・デニーソビチの一日』など。

2015年 阿川弘之……昭和・平成期の小説家。代表作『雲の墓標』『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など。


● 過去のマイブログ「8月3日」のテーマ

2015年  『収容所群島』 のソルジェニーツィン
ソ連時代の強制収容所を世界に知らせた『収容所群島』や『イワン・デニーソビチの一日』などを発表し、20世紀後半におけるロシア最大の作家とたたえられたソルジェニーツィンが、2008年に亡くなった日です。1918年、カフカス地方キスロボーツクの農家に生まれたアレクサンドル・ソルジェニーツィンは、生前に父が事故で亡くなったため、母の手で育てられました。1936年にロストフ大学に入学し、数学を専攻する一方で、文学にも興味をもち……。

2012年 「おもしろ古典落語」80回目 『皿屋敷(さらやしき)』
播州赤穂の江戸屋敷に「皿屋敷」というのがありまして、お菊という幽霊が出るといううわさがありました。「ご隠居さん、そんな話知ってますか?」「なんだ熊さんは、そんな有名な話も知らねぇのか?」「知らねぇから聞いてるんです」 「むかし、青山鉄山というさむらいが住んでいて、腰元にお菊という絶世の美女が奉公していたんだ」「ふーん」「鉄山はこのお菊が好きになって、わがものにしようと口説いた。ところがお菊には三平という夫のある身だから、いかに主人の命とはいえ、どうしてもなびかない……。

2011年 「独眼竜」 伊達正宗
戦国から江戸初期の武将で、仙台藩の基礎を築いた伊達正宗(だて まさむね)が、1567年に生まれた日です。伊達輝宗の長男として、米沢城(山形県米沢市)で生まれた正宗(幼名・梵天丸)は、幼い頃から聡明でしたが、5歳のときに天然痘にかかって右目を失明してしまいました。のちに、片眼の大名としての正宗の威厳が、超人のように映って「独眼竜」と畏れ敬われました……。

2010年  代表的義民・佐倉惣五郎
江戸時代の前期に農民の願いを将軍に直訴して、死罪となった佐倉惣五郎が、1653年に亡くなったとされる日です。下総国の佐倉藩公津村(現在の千葉県成田市内)では、堀田家が藩主をつとめていましたが、印旛沼の埋めたて事業などが失敗したため、年貢の取り立てを年々厳しくしていました。ある時、祝いごとにかこつけて名主(村役人のかしら)が宴会に印鑑持参で呼び集められて、強引に年貢を5年間2割増しするといいわたされました……。

2009年  産業革命の主役アークライト
水力紡績機を発明するなど、イギリスにおこった産業革命の担い手となったアークライトが、1792年に亡くなった日です。ほとんどの発明は、一人の人間がとつぜんにつくりだすものではなく、まえの人が考えたものを土台にして、改善されながら、新しい実をむすぶものです。紡績機を発明したアークライトは、身の回りにある機械の長所を大いにとりいれました。まず、手動の単純な紡績の機械を、水力式にして生産力を高め、さらに蒸気機関をとりいれ……。

2008年  国際人・新渡戸稲造
今日8月3日は、国際連盟事務局次長などを通じ、日本の国際的な発展に寄与した教育者 新渡戸稲造(にとべ いなぞう)が、1862年に生まれた日(8月8日説あり)です。なお、以前の5000円札(現在は樋口一葉)は、新渡戸稲造の肖像画でした。「もし天が許せば、太平洋の橋になりたい」新渡戸稲造は、東京大学に学んでいたころ、このように語っています。日本と外国との交わりを進めて、世界における日本の地位の向上に役だつことを、心にちかったのです……。

2007年  映画 「殯(もがり)の森」 に思うこと
今年のフランス・カンヌ映画祭で、グランプリの栄誉に輝いた「殯(もがり)の森」(河瀬直美監督作品)は、次のような物語です。[奈良県東部の山間地。自然豊かなこの里に、旧家を改装したグループホームがある。ここでは軽度の認知症を患った人たちが、介護スタッフとともに共同生活をしている。その中の一人、しげきは、33年前に妻が亡くなってからずっと、彼女との日々を心の奥にしまいこみ、仕事ひとすじに生きてきた……。

2006年  涙を流させた一冊の本
「今の子どもは戦争のことを知らない。でも、戦争のない時代に生まれて幸せだということでよいのだろうか。戦争というものを、何かでしっかり教えておく必要があるのではないだろうか。でも、どうすればよいのだろう」──こんな内容について語り合うことになり、9人ほどのお母さんに集まっていただいたときのことです。……みなさんもよくご存じの、かわいそうなぞうの話です」 と言って、わが子にその本を読み聞かせたときの様子と、その成果などを次のように話してくれました……。

2005年  同志との出会い
間もなくF商事から連絡があり、J・チェーンの加盟店で「ポケット絵本」の販売に力をそそいでくれている方々に声をかけたところ、数人が応じてくれたという。約束の土曜日の夕方、F商事の事務所でみんなに初めて面談することになる。ほとんどはすでに顔なじみのようで、私が到着した頃はかなり話が盛り上がっていた。その点J・チェーンの組織というのは、横のつながりが実に密なものがあることを実感した。と同時に、もうすでにJ・チェーンの破綻後の仕事をどうするか……。
投稿日:2018年08月03日(金) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)