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2018年版 7月20日はこんな日


● 今日(7月20日)の主なできごと

1969年 人類史上初の月面着陸……アメリカが打ち上げたアポロ11号がこの日、月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った(日本時間では7月21日早朝)。その様子はテレビ中継され、世界じゅうの話題をさらった。アームストロング船長は「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な一歩である」とのメッセージを全世界に発信した。

1975年 「沖縄海洋博」開幕……この日、沖縄国際海洋博覧会の開会式が行われた。沖縄が1972年に復帰したことを記念したこの博覧会は「海━その望ましい未来」を統一テーマとし、世界36か国と3つの国際機関、7つの民間企業が参加して、翌年1月18日まで、183日間にわたって開催された。未来の海上都市「アクアポリス」や沖縄の海洋文化を紹介する「沖縄館」などが人気となったが、沖縄自動車道が未整備だったこともあり、349万人の入場者にとどまった。跡地は「国営沖縄海洋博覧会記念公園」となっている。


● 今日の主な記念日・恒例日

ハンバーガーの日……1971年のこの日、東京・銀座の三越内に日本マクドナルドの1号店が開店すると、1万人以上の客がつめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録した。これにちなみ、日本マクドナルドが1996年に制定。


● 今日生まれた人

BC356年 アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)……古代マケドニア王。

1627年 伊藤仁斎……江戸時代前・中期の儒学者。古義学を提唱。

1751年 上杉鷹山(治憲)……江戸時代中・後期の米沢藩主。江戸時代屈指の名君。

1822年 メンデル……オーストリアの遺伝学者・司祭。「メンデルの法則」発見。

1912年 糸川英夫……昭和・平成期の航空工学者。

1919年 ヒラリー……ニュージーランドの登山家。エベレスト初登頂。


● 今日亡くなった人

1866年 徳川家茂……江戸幕府14代将軍。

1870年 小松帯刀……幕末・明治前期の薩摩藩重臣。薩長同盟結成に尽力。

1883年 岩倉具視……幕末・明治前期の公卿・政治家。

1937年 マルコーニ……イタリアの電気技術者。無線電信の発達に大きな功績。


● 過去のマイブログ「7月20日」のテーマ

2011年 「古学先生」 伊藤仁斎
江戸時代前期に「古義学」を提唱した儒学者・思想家の伊藤仁斎(いとう じんさい)が、1627年に生れた日です。京都・堀川の材木商人の家に生まれた仁斎は、11歳のとき、『大学』を読んで感動したといわれるほど聡明でした。『大学』は、中国の古典の一つで、『中庸』『論語』『孟子』と並んで四書といわれるものの一つです。15歳のころには儒学者を志して勉学にはげみ、儒学の一派で宋の時代に完成した朱子学を修めました……。

2010年  明治維新を実現させた公家・岩倉具視
公家出身で幕末から明治前期に活躍した政治家 岩倉具視(ともみ)が、1883年に亡くなった日です。1825年、京都の公家堀川家に生まれた具視は、14歳のとき岩倉家の養子になりました。やがて、朝廷に務めるようになり、29歳の時に孝明天皇の侍従となりました。岩倉具視が政治の世界に登場するのは、1858年に幕府が日米修好通商条約を結んだときからです……。

2007年  無線電信装置を実用化した マルコーニ
無線電信の発達に大きな功績をのこした、イタリアの電気技術者マルコーニが、1937年に亡くなった日です。グリエルモ・マルコーニは、1874年イタリアの古都ボローニャに生まれました。父親はたいへん裕福な銀行家で、マルコーニは少年時代から、父の別荘にある図書室で科学の本に親しみながら成長しました。また、有名な科学者たちを家庭教師にして電気について学び、17、8歳のころには、電気科学者を夢見るようになっていました……。

2006年  11ぴきのねこ
絵本「11ぴきのねこ」(馬場のぼる文・絵 こぐま社刊) の内容は、次のとおりです。いつも腹ぺこの11ぴきのねこが、山の向こうの湖に怪物のような大きな魚がいると聞いてでかけます。いかだを作って待っていると、水の上に大きなものがはねました。みんながねらっている魚です。11ぴきのねこは、いかだを出して魚と戦いました。でも、みんな、はね飛ばされてしまいます。ある晩、大きな魚が島で寝ているのをみつけた11ぴきのねこは、こもりうたを歌って魚を深く眠らせ、いびきをかき始めると飛びかかって魚をつかまえました。そして 「みんなに見せるまではぜったいに食べない」 ことを約束して、魚を引いて帰りはじめました。ところが……。

2005年  新規取引先を求めて
1976年8月末、離れ業ともいえる手法で倒産をまぬがれたことを記した。しかし、それからしばらくは毎月数百万円の手形決済が待っているし、J・チェーンの売り上げがなくなってしまったわけだから、他の方法で売り上げをあげなくてはならない。それでも、これまでのようにJ・チェーンに気兼ねをする必要がなくなり、精神的にかなり開放された気分になったことは事実である。J・チェーンと独占販売に近い形で契約して以来、本部のいうことには逆らえないという見えないプレッシャーを受けながら行動せざるを得なかったからだ。そこで、これまでに独自で集めた販売会社や、知人の紹介なども含め、いろいろなタイプの会社へアプローチしていった……。
投稿日:2018年07月20日(金) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)