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2018年版 7月8日はこんな日


● 今日(7月8日)の主なできごと

1497年 バスコ・ダ・ガマがリスボン出発……ポルトガルの航海者・探検家のガマが、国王の命を受け、ヨーロッパからアフリカ南岸の喜望峰を経てインドへ航海した最初のヨーロッパ人として知られる。このインド航路の開拓により、ポルトガルが海上帝国となる基礎が築かれた。

1588年 秀吉「刀狩令」発布……豊臣秀吉はこの日、全国の農民に対し、刀や鉄砲などを取り上げる刀狩令を出した。「方広寺大仏殿建立の釘やかすがいにする」と称したが、それは口実で、農民が武器で反抗出来ないようにするのが目的だった。

1994年 日本人女性初の宇宙飛行へ……この日、アメリカのケネディ宇宙センターから日本人女性初の宇宙飛行士向井千秋を乗せたスペースシャトル「コロンビア号」が打ち上げられた。向井は14日と17時間55分という女性の世界最長滞在記録を更新し、さまざまな実験データや宇宙で生まれた8匹のメダカをみやげやに無事帰還した。


● 今日の主な記念日・恒例日

質屋の日……七(しち)八(や)の語呂合せから、全国質屋組合連合会が制定。

中国茶の日……中国語の七(チー)と日本語の八(や)の語呂合せから、日本中国茶協会が制定。


● 今日生まれた人

1621年 ラ・フォンテーヌ……フランスの文学者・詩人。代表作 『ラ・フォンテーヌの寓話』。

1838年 ツェッペリン……ドイツの軍人。硬式飛行船を実用化。

1839年 ロックフェラー……アメリカの実業家・慈善家。「石油王」

1868年 山田美妙……明治期の小説家・詩人・評論家・国語学者。言文一致体や新体詩運動の先駆者。

1908年 東山魁夷……昭和・平成期の日本画家。代表作『白馬の森』『残照』など。昭和を代表する画家の一人。


● 今日亡くなった人

1695年 ホイヘンス……オランダの物理学者・数学者・天文学者。土星の環、土星の衛星タイタン発見。「万能の科学者」

1965年 河野一郎……昭和期の政治家。自民党の党人派代表格。

1979年 朝永振一郎……昭和期の物理学者。「くりこみ理論」でノーベル物理学賞。

1989年 荒垣秀雄……昭和期のジャーナリスト・評論家。朝日新聞コラム『天声人語』を17年6ヵ月にわたって執筆。

1994年 金日成……朝鮮半島の抗日運動家・革命家。北朝鮮を建国。


● 過去のマイブログ「7月8日」のテーマ

2015年 「国民的画家」 東山魁夷
『残照』『道』『黄山暁雲』『白馬の森』などを描いた昭和を代表する日本画家で最高峰の一人といわれる東山魁夷(ひがしやま かいい)が、1908年に生まれた日です。船具商を営む家の次男として横浜市に生まれた東山魁夷(本名・新吉)は、父の仕事の関係で3歳の時に神戸に転居。旧第二神戸中学の頃から画家を志し、1926年に東京美術学校(今の東京芸大)日本画科へ進学しました。特待生となり、在学中の1929年第10回帝展に『山国の秋』を初出品して入選を果たしました……。

2014年 「飛行船」 のツェッペリン
ドイツの軍人で「硬式飛行船」を発明して実用化したツェッペリンが、1838年に生まれた日です。いまのドイツ南部にあったバーデン大公国コンスタンツに生まれたフェルディナント・フォン・ツェッペリンは、シュツットガルトの工芸学校を経て陸軍士官学校に学び、ドイツ連邦ビュルテンベルク王国で軍人としての道を歩みはじめました。1858年、中尉のときに軍事研究のため欧米諸国の視察を命じられ……。

2013年 「横紙破り」 の河野一郎
自由民主党の代表格として権勢を誇った政治家の河野一郎(こうの いちろう)が、1965年に亡くなった日です。1898年、神奈川県豊川村(現・小田原市)の豪農の子に生まれた河野一郎は、小田原中学を経て、1923年早稲田大学政治学科を卒業し、朝日新聞社に入社しました。記者時代に政治家と接触したことがきっかけとなって、1923年に政友会から衆議院選挙に立候補して当選、1942年の翼賛選挙では非推薦で当選しています。太平洋戦争後、1945年11月に旧政友会の勢力を集め、鳩山一郎を総裁とする日本自由党を結党すると、初代幹事長をつとめました……。

2011年 「おもしろ古典落語」29回目 『ろくろっ首(くび)』
「だれだい、そこから首を出したりひっこめたりしてるのは? …なんだ、与太郎じゃねぇか、こっちきてあがれ」「おや、おじさんいたな」「なんだ、そのあいさつは」「だって、いたじゃねぇか」「いくらおじさんの家でも、あいさつぐらいはちゃんとしろ」「あいさつ? …じゃ、さようなら」「あれっ、もう帰っちゃうのか?」「帰りゃしないよ、あいさつだ」「そいつは、帰る時のあいさつだ。来たときには、今日は暑いですねとか、寒いですねとかいうのがあいさつだ」「今日はぬるいね……。

2010年  石油王・ロックフェラー
世界最大の石油会社「スタンダード石油」を設立し巨額の富を得、後にそのぼう大な資産を慈善事業に費やしたアメリカの実業家ロックフェラーが、1839年に生まれた日です。ジョン・ロックフェラーは、 ニューヨーク州リッチフォードに、農業をいとなむ両親の長男として生まれました。1853年に一家はオハイオ州クリーブランドに転居。16歳のとき、ロックフェラーはこの地で、農産物仲買商の店員兼簿記係として働きはじめました。そして2年後の1858年、友人のモーリス・クラークといっしょに、クラーク・アンド・ロックフェラー社を設立し、2800ドルの投資で穀物を売買する店をひらくまでになりました……。

2009年  プラスチックってなぁーに?
「おもしろ科学質問箱 19」 プラスチックは、私たちの毎日の生活に欠かすことができません。プラスチックという言葉は「好きな形にできる」という意味の形容詞で、熱を加えるとプラスチックは粘土のようになり、冷えるとそのままの形を保つ性質があるために、こう呼ばれます。プラスチックの本質は、分子にあります。分子というのは、物質の一番小さい粒子のことで、物質を小さく切りきざんでいったとき、もうこれ以上分けたら、その物質の性質がなくなってしまうぎりぎりの小さい単位のことです。化学者は、この分子を結びつけて、粒子の鎖の輪を作ることができます……。

2008年  ラ・フォンテーヌの寓話
主として人間を動物におきかえた教訓話(寓話)で名高いフランスの文学者・詩人のラ・フォンテーヌが、1621年に生まれた日です。「ライオンと蚊」 のお話はこんな内容。ある日、ライオンが小さな蚊に 「あっちへ行け、このちっぽけな虫けらめ!」 と、どなりつけました。蚊は、そんなことをいうならと、ライオンにおそいかかって、首から鼻の中まで刺してまわりました。すると、ライオンは、かゆくて、わが身をひっかきまわしたあげく、へたばってしまいました。蚊は大勝利をおさめて、ようようと引き上げていきました。ところが、このことを触れまわって帰るとちゅう、クモの巣にひっかかって、あっけなく最期をとげてしまいました……。

2005年  フォニックスについて
昨日、一昨日と「セサミえいごワールド」の「リピートカード」300枚に関する記述をしてきたが、このカードの特長のひとつは「フォニックス」を取り上げたことである。フォニックスに関しては、最近の子ども向英語教材や、子ども英語教室には欠かせない存在になってきたが、意外にその本質を知っている人は多くないようだ。フォニックス(音声法)とは、ことばのつづりと発音との関係を教える指導法で、イギリスやアメリカなど、英語を母国語とする国では、子どもたちに単語とつづりと発音の規則性を大変念入りに教える。このつづりと音のルールを教える「フォニックス」が、幼児から小学1、2年生の入門期における国語教育の中心になっているという……。
投稿日:2018年07月08日(日) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)