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2018年版 7月1日はこんな日


● 今日(7月1日)の主なできごと

1787年 寛政の改革……江戸幕府の老中松平定信は、第11代将軍徳川家斉のもとで、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」にならい、この日から「寛政の改革」を行い、武芸や学問の奨励、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化をめざした。一連の改革は、田沼意次が推進した商業重視政策を否定したものだった。

1890年 第1回衆議院選挙……この日、初の衆議院選挙が行われたが、有権者は、国税を15円以上納めた25歳以上の男子だけで、総人口のわずか1.14%だった。

1997年 香港返還……アヘン戦争を終結させるため、清とイギリス間で結ばれた南京条約(1842年)により、イギリスに割譲された香港だったが、この日イギリスから中国へ返還され、特別行政区となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

山開きの日……登山は、昔は信仰行事で禁止されていた。やがて、夏の一定期間だけはその禁が解かれて、その始まりの日を「山開き」と言っていた。現在では富士山をはじめ、ほとんどの山がこの日に山開きを行い、夏山登山の安全を祈願する。

国民安全の日……産業災害・交通事故・火災等の災害防止をはかる「全国安全週間」の初日で、1960年5月の閣議で制定された。

童謡の日……1918年のこの日、たくさんの名作童話・童謡を生み出したことで知られる日本初の児童文芸誌『赤い鳥』が創刊されたことにちなみ、日本童謡協会が1984年に制定。


● 今日生まれた人

1804年 ジョルジュ・サンド……フランスの女流小説家。代表作『魔の沼』『愛の妖精』など。

1893年 獅子文六……昭和期の小説家・劇作家・演出家。代表作『てんやわんや』『娘と私』『大番』など。

1902年 ワイラー……アメリカの映画監督。代表作『ローマの休日』『大いなる西部』『ベン・ハー』など。

1961年 ダイアナ・スペンサー……イギリス元チャールズ皇太子妃。ウィリアム王子・ヘンリー王子の実母。


● 今日亡くなった人

770年 阿倍仲麻呂……奈良時代の遣唐留学生・歌人。

1622年 支倉常長……安土桃山・江戸時代初期の武将・仙台藩士。遣欧使節団長として著名。

1876年 バクーニン……ロシアの革命家・無政府主義者。

1896年 ストウ夫人……アメリカの女流小説家。代表作『アンクルトムの部屋』など。

1905年 ヘイ……アメリカの政治家・外交官・ジャーナリスト。

1908年 児島惟謙……明治期の裁判官・大審院院長。「大津事件」の裁判官。

1925年 サティ……フランスの作曲家。「音楽界の変わり者」といわれ西洋音楽に大きな影響。

2006年 橋本龍太郎……昭和・平成期の政治家。第82・83代首相。


● 過去のマイブログ「7月1日」のテーマ

2015年 「アメリカ経済主義の推進者」 ヘイ
リンカーン大統領の秘書、マッキンリー、セオドア・ルーズベルト両大統領の国務長官を務めた政治家・外交官・ジャーナリストのヘイが、1905年に亡くなった日です。1838年、インディアナ州の辺境の地セーレムに医師の子として生まれたジョン・ヘイは、少年のころから詩人になることを志しますが、1858年にブラウン大学を卒業後、政治や文化の発達していたイリノイ州スプリングフィールドにあるおじの法律事務所で働くことになりました……。

2014年  マルクスと対立したバクーニン
ロシアの革命家で、無政府主義(アナーキズム)と反権威主義をかかげ、マルクスの主張したプロレタリア独裁に反対したバクーニンが、1876年に亡くなった日です。1814年、モスクワ北西のプリャムヒノにある貴族の子として生まれたミハイル・バクーニンは、14歳の時にペテルブルクに出て砲兵学校で教育を受け、ロシア皇帝親衛部隊に入隊しました……。

2013年 「硬骨の裁判官」 児島惟謙
「大津事件」で政府の圧力にもめげず、司法権の独立を守り抜いた司法官として知られる児島惟謙(こじま いけん)が、 1908年に亡くなった日です。1837年に伊予国(現、愛媛県)宇和島藩士の子として生れた惟謙は、生後まもなく母の離婚により、数年間里子に出されたり、造酒屋で奉公したりと、不幸な幼年時代を送りました。そのため姓も金子、緒方、児島と変わっています。しかし、文武の稽古にはげみ、1864年には剣道修行のために、松山、今治、高知へおもむき……。

2011年 「おもしろ古典落語」28回目 『青菜(あおな)』
そろそろ暑くなったころ、ある隠居の家で、植木屋の八五郎が植木の手入れをしながら、一服していました。「植木屋さん、たいそうご精がでますな」「あっ旦那、おいでなすってたんですか。植木屋は、なまけ者が多いのか、いつも座りこんじゃ、たばこふかしてるって。ボンヤリしてるんじゃなくて、庭ながめながら、『こっちの枝はもう少し短めにしたほうがいいんじゃないか、石灯はこっちに移そうか』なんて、いちいち段取りぃつけてますんで」「そうでしょうな……。

2010年  フランス最大の女流作家・サンド
19世紀ロマン派の作家として、バルザックやデュマと並び称されるフランスの女流作家サンドが、1804年に生まれた日です。ジョルジュ・サンド(本名はオーロール・デュパン) は、ポーランド王の血をひく軍人の父の子としてパリに生まれました。父が早くなくなったため子ども時代は、フランス中東部ノアンにある祖母の邸宅で過ごしました。この田舎での生活はのちに代表作となる 『魔の沼』 『愛の妖精』 など……。

2009年  唐の都長安に骨をうずめた阿倍仲麻呂
奈良時代に遣唐留学生として中国(唐)にわたり、唐朝の高官に登るも日本への帰国が果たせなかった歌人・阿倍仲麻呂(あべの なかまろ)が、770年に唐で亡くなったといわれている日です。日本の朝廷は、630年から894年までの264年間に15回にわたって、中国で栄えていた唐の国へ、使節を送りました。遣唐使です。唐の、進んだ政治のしくみ、学問、文化などを学ばせるために、日本の僧や学生たちを留学させたのです……。。

2008年  [おもしろ民話集 46] 星の金貨
むかしあるところに、とても可愛らしい少女がいました。ところが、お父さんもお母さんも亡くなり、お金もなく、家も、寝るベッドもなくなってしまいました。そしてとうとう、着ているものと、情け深い人にめぐんでもらったパンが一切れだけになってしまいました。(このパンは明日食べましょう。だって、今食べてしまったら、明日は何にもなくなってしまうもの) そう考えて、野原へ出ていきました……。

2005年  雑誌広告リニューアル
「いずみ書房」では、小学館発行「マミイ」「ベビーブック」「めばえ」、講談社発行「げんき」「おかあさんといっしょ」、ベネッセ発行「ひよこクラブ」「こっこクラブ」など、毎月、10誌前後の幼児雑誌にカラー1ページの広告を載せている。ニューヨークにあるセサミワークショップが制作する子ども向け人気番組「セサミストリート」の映像をもとに、英語を母国語としない国向けに新制作された「セサミえいごワールド」という家庭用英語教材のPRのためで……。
投稿日:2018年07月01日(日) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)