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2018年版 6月18日はこんな日


● 今日(6月18日)の主なできごと

1815年 ワーテルローの戦い……エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、「ワーテルローの戦い」で敗れた。

1940年 レジスタンス……ヒトラー率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することをこの日に決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけた。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決……太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていた。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令を出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内でこの日、49名が集団自決をした。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなった。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられている。


● 今日の主な記念日・恒例日

海外移住の日……1908年のこの日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着したことで、国際協力事業団(JICA)が1966年に制定。

考古学出発の日……1877年、明治政府の「お雇い外国人」として来日したアメリカの動物学者のモース博士は、汽車で横浜から新橋へ向かう途中に貝殻が堆積している大森貝塚を発見、まもなく本格的な発掘調査が行われた。これが日本初の科学的な発掘調査で、日本の考古学の出発点となったことにちなみ、制定された記念日。

おにぎりの日……1987年、石川県鹿西(ろくせい)町(今の中能登町)にある遺跡から日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことから、「鹿西」の「ろく」と、毎月18日が「米食の日」であることから制定。


● 今日生まれた人

1838年 モース……アメリカの動物学者。「大森貝塚」発見。

1903年 ラディゲ……フランスの小説家・詩人。代表作『肉体の悪魔』『ドルジェル伯の舞踏会』。将来を期待されながら20歳で夭折。三島由紀夫らに影響。

1942年 ポール・マッカートニー……イギリスのミュージシャン。「ビートルズ」時代に、『イエスタデイ』『ヘイ・ジュード』『レット・イット・ビー』などを作詞・作曲。


● 今日亡くなった人

746年 玄ム……奈良時代の法相宗の僧。橘諸兄・吉備真備らと政界に君臨した後に失脚。

1928年 アムンゼン……ノルウェーの探検家。「南極点」初到達や史上初両極点へ到達。

1931年 矢野龍渓……明治期の政治家・ジャーナリスト・小説家。代表作『経国美談』『浮城物語』など。

1936年 ゴーリキー……ロシアの小説家。代表作『フォマ・ゴルデーエフ』『母』(小説)『どん底』(戯曲)『海燕の歌』(叙事詩)など。

1955年 豊島与志雄……大正・昭和期の小説家・翻訳家。

2000年 薮内正幸……昭和・平成期の動物画家。代表作『コウモリ』『日本の恐竜』『野鳥の図鑑』『しっぽのはたらき』など。

2002年 山本直純……昭和・平成期の指揮者・作曲家。代表作『男はつらいよ』テーマソングや同シリーズの映画音楽、『一年生になったら』『歌えバンバン』(童謡)など。


● 過去のマイブログ「6月18日」のテーマ

2015年   「留学僧」 玄ム
唐の玄宗皇帝に尊ばれて経典5000余巻を日本にもたらし、政界にも勢力をふるった法相宗の僧玄ム(げんぼう)が、746年に亡くなった日です。玄ムがいつどこで生まれ、どのように育ったかについてはほとんどわかっていません。出家する前の名(俗姓)は阿刀氏で、716年に遣唐大使の多治比県守にしたがって、吉備真備や阿倍仲麻呂とともに入唐し、学問に励みました。当時の中国は盛唐といわれる玄宗皇帝……。

2014年 『経国美談』 の矢野龍渓
「郵便報知新聞」の社長を務めながら政治小説の先駆的な作品を発表し、政治家・官吏・民権運動家としても活躍した矢野龍渓(やの りゅうけい)が、1931年に亡くなった日です。1851年、豊後国(今の大分県)佐伯藩の中級武士の長男として生まれた矢野龍渓(本名・文雄)は、幼いころから父や祖父から儒教や西洋の知識を授けられ、藩校に学んで攘夷の精神を身につけました……。

2013年  [おもしろ民話集 89] サルと地蔵さま
むかし、あるところに、じいさまとばあさまがありました。ソバやアワを畑に作って暮らしていましたが、ようやく実がなるようになると、山からサルがぞろぞろやってきて、畑を荒らしまわります。「また、サルが荒らしたんですね」「うん、こまったやつらじゃ」「なにかいい方法はないものですかね」「そうじゃ、サルたちは、お地蔵さまのまえではおとなしいというから、お地蔵さまに化けてみるか……。

2012年  夭折した天才作家・ラディゲ
『肉体の悪魔』『ドルジェル伯の舞踏会』を著わしたフランスの小説家で詩人のラディゲが、1903年に生まれた日です。パリの郊外のサンモールに、さし絵画家の子に生まれたレイモン・ラディゲは、子どものころから、父の蔵書の文学作品を読みふけり、学業優秀な子として有名でした。11歳でパリの中学に入学しましたが、まもなく学業そっちのけで文学に夢中になり……。

2010年  名翻訳者・豊島与志雄
ユゴー 『レ・ミゼラブル』、ロマン・ロラン 『ジャン・クリストフ』などの翻訳、『天下一の馬』『てんぐ笑い』などの童話を著した作家 豊島与志雄(としま よしお)が、1955年に亡くなった日です。豊島は、1890年福岡県に生まれました。東京大学仏文科在学中に、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らと第3次「新思潮」を刊行し、その創刊号に処女作となる『湖水と彼等』を寄稿し注目され……。

2009年  ワーテルローの戦い
フランス皇帝ナポレオン1世が、1815年のこの日、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に「ワーテルローの戦い」に敗れた日です。1789年におこった市民革命「フランス革命」後のフランスをまとめあげ、皇帝となり、ナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパを席巻したナポレオンは、フランスを代表する英雄として世界的にその名が知られています。ただし、その波乱に富んだ生涯は……。

2008年  貧しい人々の真実を描いた作家・ゴーリキー
『どん底』『母』などの作品を通し、貧しい人々の生活の中にある不安や、社会や政治の不正をあばくなど 「社会主義リアリズム」 という新しい道を切り開いたロシアの作家ゴーリキーが、1936年に亡くなった日です。マクシム・ゴーリキーは、汗を流してはたらく貧しい人びとのことを考えつづけたロシアの作家です。1868年に、ボルガ川中流の……。

2007年  ごほうびは、物より心を
子どもが、とくによいことをした、見ちがえるようなことをした、大きな約束を果たした、よくがんばった……こんなとき、どんな親でもほうびを与えたくなりますが、いま、この 「ほうび」 でもっとも多いのが、お金です。あるいは、お金でなにかを買って与えることです。しかし、お金によるほうびを与えるのは、あまりのぞましいことではありません……。
投稿日:2018年06月18日(月) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)