● 今日(6月29日)の主なできごと
1869年 招魂社(後の靖国神社)造営……前年の鳥羽・伏見の戦いから箱館戦争にいたる戊辰戦争で亡くなった人たちを祀るためこの日、東京の九段坂上に招魂社を造営した。1879年靖国神社に名称を変更し、日清戦争後は、外国との戦争による犠牲者を祀るようになった。
1932年 特高の設置……特別高等警察(特高)は、日本の主要府県警の中に設置された政治警察で、この日に設置された。警察国家の中枢として、共産主義者はもとより、自由主義者や宗教人にも弾圧の手をのばした。国民の目や耳や口を封じ、たくさんの人々を自殺においこみ、虐殺させた思想弾圧機構ともいえるものだった。
1966年 ビートルズが来日……この日、人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初来日した。翌日から東京の日本武道館で3日間5回の公演を行った。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されるなど、日本じゅうを熱狂させた。
● 今日の主な記念日・恒例日
佃煮の日……佃煮の発祥の地である東京佃島の氏神である住吉神社が創建されたのが1646年のこの日であることから、佃煮を製造する全国調理食品工業協同組合が、2004年に制定した。
● 今日生まれた人
1866年 黒田清輝……明治・大正期の洋画家。代表作『湖畔』『読書』など。
1900年 サン・テグジュペリ……フランスの小説家・飛行士。代表作『星の王子さま』『夜間飛行』など。
1922年 清岡卓行……昭和・平成期の詩人・小説家。代表作『アカシヤの大連』『マロニエの花が言った 』など。
● 今日亡くなった人
1900年 臥雲辰致……明治期の発明家。
1903年 滝廉太郎……明治期の作曲家。『荒城の月』『花』(歌曲)、『鳩ぽっぽ』『お正月』(童謡)など。
1929年 内田魯庵……明治・大正期の評論家・小説家・翻訳家。
1940年 クレー……スイスの画家・美術理論家。『奇跡的な着地 あるいは「112!」』 『ホフマンへの話』など。
1941年 パデレフスキー……ポーランド作曲家・ピアニスト・政治家。
● 過去のマイブログ「6月29日」のテーマ
2015年 「ガラ紡」 の臥雲辰致
明治初期に「臥雲式紡績機」(ガラ紡)を発明し、日本の紡績業が機械化されるまでの発展に大きく貢献した発明家・事業家の臥雲辰致(がうん たつむね/たっち)が、1900年に亡くなった日です。1842年、今の長野県安曇野市の豪農の家に生まれた臥雲辰致(本名・横山栄弥)でしたが、幼いころ、父親が賭け事に熱中して財産を失ってしまいました。足袋底の布を扱う問屋を始めた母の布を織るのを手伝いながら、機械の改良を考えていましたが、1861年20歳で近隣の安楽寺で出家しました。智恵(ちけい)と名乗りましたが、明治政府の廃仏毀釈により廃寺とされたため還俗し……。
2012年 再評価される内田魯庵
明治期に文芸評論家・翻訳家・小説家として活躍した内田魯庵(うちだ ろあん)が、1929年に亡くなった日です。1868年、今の東京台東区下谷に幕府御家人の父、吉原の芸妓をしていた母の子として江戸・下谷に生まれた魯庵(本名・貢)は、政治や実業に関心を持ち、立教学校(現立教大学)や東京専門学校(現早稲田大学)などで英語を学びましたが、どこも卒業せず、文部省の翻訳係だった叔父のもとで下訳をしたり、友人の編集を手伝ったりしながら、図書館で独学しました……。
2011年 首相になった作曲家・パデレフスキー
ポーランドのピアニスト・作曲家で、第1次世界大戦後に発足したポーランド共和国の第3代首相をつとめたパデレフスキーが、1941年に亡くなった日です。1860年、ポーランド東南部の村クリロフカ(現・ウクライナ)の貴族の家に生まれたイグナツ・パデレフスキーは、幼年期から音楽に興味を示し、個人教師についてピアノを学びました。1872年、12歳でワルシャワ音楽院に進学し1878年に卒業すると、しばらく母校でピアノを教えていましたが、より技術を向上させようと、1881年にベルリンに留学します……。
2010年 魂の画家・クレー
20世紀前半に独特の童画風の絵をえがき、現代抽象画の世界に大きな影響を与えたスイス出身の画家・美術評論家のクレーが、1940年に亡くなった日です。パウル・クレーは、1879年スイスの首都ベルン郊外に生まれました。父親は音楽の教師、母親も歌が上手で音楽につつまれた家庭でした。幼いころからバイオリンに親しみ、11歳でベルンのオーケストラに籍を置くほどの腕前でした。そのため1898年、ドイツのミュンヘンに出て絵を志すまで、将来の道を決めかねていました……。
2009年 『荒城の月』 の滝廉太郎
明治時代の洋楽揺籃(ようらん)期に、『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎(たき れんたろう)が、1903年に亡くなった日です。「あっ、オルガンがある!」 だれもいない音楽室をのぞいた廉太郎は、思わずさけびました。明治時代の中ごろでは、オルガンはめずらしい楽器だったからです。廉太郎は、すいつけられるように音楽室へ入って、そっと、オルガンに手をのばしました。するとそのとき、先生が現われました……。
2007年 世界一気持ちの良い町は 「吉祥寺」 ?!
最近、「吉祥寺スタイル―楽しい街の50の秘密」 (文芸春秋社刊)という本が出版されました。著者は、一昨年 「下流社会」(光文社新書)という80万部をこえるベストセラーとなった本(「下流社会」は氏の造語で流行語となった)を著わしたマーケティングアナリスト・三浦展氏と、日米の住宅地、街路、ホテル、テーマパークの景観設計を手がけるプランナー・渡和由氏との共著。19年間吉祥寺に住み続ける三浦氏が、都市計画の専門家に協力を求めて、50の視点で面白く分析した「吉祥寺をモデルに、好ましい町とは何かを考えた本」といってよいでしょう……。
2006年 かさ
この絵本(太田大八絵 文研出版刊)には、文章がありません。どのページをめくっても、絵ばかりです。雨の日、赤いかさをさした女の子が、おとなのかさを一本持って歩いて行きます。駅まで、お父さんを迎えにいくのです。ぶらんこが雨にぬれている公園の前を通り、池のふちに立ちどまって、あひるの親子をながめ、友だちに会って声をかけあい、雨にすっかりぬれた犬に会い、陸橋から線路をながめ、ケーキ屋さんやショーウインドーの人形をのぞいたりしながら、 やっと駅へ。そして、帰りは、さっきのぞいたケーキ屋さんでケーキを買ってもらい、それをだいじにかかえて、お父さんのかさにいっしょに入って……。