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2018年版 7月16日はこんな日


● 今日(7月16日)の主なできごと

622年 回教暦元年……イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)が、メッカからメディナに移って布教を開始し、この年を回教暦元年とした。

1054年 東西教会分裂……ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会)と、東方の正教会が相互に破門状を出し、キリスト教教会が東西に分離した。以後1965年に和解するまで分裂が続いた。

1260年 立正安国論……僧の日蓮はこの日、鎌倉幕府の前執権北条時頼に「立正安国論」を献上し、相次ぐ地震や飢饉、疫病などの災害の原因は、阿弥陀如来だけを信じ念仏をとなえればよいという法然を激しく非難、正法である法華経を信じなければ国内に反乱がおこり外国から侵略を受けると予言した。

1945年 世界初の原爆実験……アメリカのニューメキシコ州の砂漠で、原子爆弾実験がおこなわれた。この成功により、広島に8月6日、9日に長崎へ原子爆弾が落とされた。


● 今日の主な記念日・恒例日

海の日……1996年から、それまでの「海の記念日」が海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う国民の祝日「海の日」になった。「祝日法」改正により、2003年から7月第3月曜日となった。

盆送り火……盆の最終日で、祖先の精霊を送るために火を焚く。また、祭壇に供えたものは精霊船に乗せて川や海に流す。月遅れの8月16日に行うところも多くなった。

籔入り……昔は、商店に奉公している人は、この日と1月16日だけ実家に帰ることが許されていた。

外国人力士の日……1972年のこの日、大相撲名古屋場所で、ハワイ出身の力士高見山が外国人力士として初めて幕内優勝したことにちなむ。

その他の記念日……駅弁記念日・虹の日・国土交通デーなど。


● 今日生まれた人

1867年 池田成彬……明治・大正・昭和期の銀行家・政治家。「三井財閥」指導者。日本銀行総裁・蔵相・商工相歴任。

1872年 アムンゼン……ノルウェーの極地探検家。南極点に初めて到達後、飛行船で北極点へ到達し史上初の両極点到達。


● 今日亡くなった人

733年 山上憶良……奈良時代初期の貴族・歌人。「銀も金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」など、家族思いで知られる万葉歌人。

1216年 インノケンティウス3世……第176代ローマ教皇。ローマ・カトリック教会を全盛期に導く。

1858年 島津斉彬……江戸時代後期の薩摩藩主。西郷隆盛ら幕末に活躍する人材を育成した名君。

1919年 板垣退助……幕末から明治期の政治家。「自由民権運動」主導。

1987年 トニー谷……昭和期のボードビリアン。そろばんを楽器のようにかき鳴らす珍芸が売り。

1989年 カラヤン……オーストリアの指揮者。クラシック音楽界の主要ポストを独占した「楽壇の帝王」

2004年 中野孝次……昭和・平成期の小説家・ドイツ文学者。代表作『清貧の思想』『ハラスのいた日々』『暗殺者』など。


● 過去のマイブログ「7月16日」のテーマ

2015年 「教皇は太陽」 のインノケンティウス3世
英独仏への政治介入をするなど、ローマ・カトリック教会を全盛期に導いた教皇インノケンティウス3世が、1216年に亡くなった日です。1161年、ローマ郊外のアナーニに貴族の子として生まれたインノケンティウス(本名 ロタリオ・ディ・コンティ)は、パリ大学とボローニャ大学で神学・教会法を学んだのち、教皇庁に入りました。1190年に枢機卿となり……。

2014年 「楽壇の帝王」 カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術総監督など、世界のクラシック音楽界をリードしたオーストリアの大指揮者カラヤンが、1989年に亡くなった日です。1908年、ザルツブルクに貴族の子として生まれたヘルベルト・フォン・カラヤンは、地元のモーツァルテウム音楽院でピアノを学んでピアノ奏者となりました。やがて、ウィーン音楽院で指揮を学ぶと……。

2013年 「三井財閥」 と池田成彬
団琢磨暗殺後に三井財閥のリーダーとなって巨大化を推進し、日本銀行総裁・大蔵大臣兼商工大臣をつとめた池田成彬(いけだ しげあき/せいひん)が、1867年に生まれた日です。現在の山形県米沢市に米沢藩士の子として生まれた池田成彬は、1879年父とともに上京、慶応義塾別科をへて1890年、新設されたばかりの慶応大学経済学部に入学しました……。

2010年  幕末の名君・島津斉彬
江戸時代後期の薩摩藩の藩主で、名君と讃えられた島津斉彬(しまづ なりあきら)が、1858年に亡くなった日です。斉彬は1809年、藩主・島津斉興(なりおき)の長男として江戸薩摩藩邸で生まれました。母は「賢夫人」として知られた女性で、乳母をつけず、自ら斉彬を養育しました。幼い頃から利発で、15、6歳の頃には、文武両道で諸藩にその名が伝わるほどでした……。

2009年  人生詩人・山上憶良
貧しい人たちへの気遣いや家族思いの万葉歌人・山上憶良(やまのうえの おくら)が、733年に亡くなったといわれる日です。660年に生まれた山上憶良は、『万葉集』に70数首の歌を残している、奈良時代の初めのころの歌人です。憶良は、宮廷につかえていました。しかし、古くから権力をふるってきた豪族たちにくらべると、山上氏があまり伝統のある家がらでは……。

2008年  自由民権運動の推進者・板垣退助
明治期に江藤新平らと民選議院設立建白書を提出し、わが国初の政党である自由党を結成して、自由民権運動に尽力した板垣退助(いたがき たいすけ)が、1919年に亡くなった日です。明治時代の歴史をひもとくと、「板垣死すとも、自由は死せず」 という言葉にぶつかります。これは、1882年4月、岐阜市で板垣退助が暴漢におそわれたときに、叫んだ言葉です……。
投稿日:2018年07月16日(月) 05:59

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)