児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  2018年版 こんな日 >  2018年版 8月1日はこんな日

2018年版 8月1日はこんな日


● 今日(8月1日)の主なできごと

1590年 家康江戸城へ……豊臣秀吉から関東4国をもらった徳川家康が、この日太田道灌の建てた江戸城へ入城。粗末だった城を、少しずつ様式のある城に整えていった。

1931年 初のトーキー映画……それまでの日本映画はサイレント映画で、スクリーンの横に弁士がついてストーリーを語るものだったが、この日初のトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督) が封切られた。


● 今日の主な記念日・恒例日

八朔(はっさく)/田の実の節句……この日はもともと旧暦8月1日の行事で、その年の新しい穀物を取入れたり、贈答をしたりして祝う「田の実の節句」の日だったが、明治以降は新暦でも行われるようになった。

水の日……1年を通して8月が一番水を使う量が多い月であることから、国土庁(現在の国土交通省)が1977年に制定、節水を呼びかけるための記念日とした。

その他の記念日……8・1の語呂あわせから「パイの日」「パインの日」「肺の日」「ハイキングの日」や、「洗濯機の日」「自然環境クリーンデー」「観光の日」「花火の日」「麻雀の日」「島の日」など。


● 今日生まれた人

1819年 メルビル……アメリカの小説家・詩人。代表作『白鯨』など。

1858年 団琢磨……明治・大正・昭和期の実業家。三井財閥の総帥。

1881年 会津八一……大正・昭和期の歌人・書道家・日本美術史家。

1885年 木下杢太郎……明治・大正・昭和期の詩人・小説家・劇作家・評論家。

1889年 室生犀星……大正・昭和期の詩人・小説家。代表作『愛の詩集』『あにいもうと』など。

1892年 きんさん・ぎんさん……記録的長寿の双子姉妹。

1905年 水谷八重子 (初代)……大正・昭和期の女優。

1907年 宮本常一……昭和期の民俗学者。代表作『忘れられた日本人』『日本の離島』など。

1923年 中田喜直……昭和・平成期の作曲家。代表作『小さい秋みつけた』『夏の思い出』など。

1933年 金田正一……昭和・平成期の野球投手・監督・解説者。プロ通算400勝などの大記録。

1936年 イブ・サン・ローラン……フランスの服飾デザイナー。


● 今日亡くなった人

1971年 徳川夢声……大正・昭和期の放送芸能家・随筆家。

1981年 神近市子……大正・昭和期の婦人解放運動家・評論家・政治家。

2007年 阿久悠……昭和・平成期の作詞家・作家。「また逢う日まで」「北の宿から」「津軽海峡冬景色」など多くのヒット曲。小説『瀬戸内少年野球団』など。


● 過去のマイブログ「8月1日」のテーマ

2014年  『白鯨』 のメルビル
船乗りとして波乱万丈の体験をたくさんの作品に残したアメリカの作家メルビルが、1819年に生まれた日です。ニューヨークの裕福な輸入商の3男に生まれたハーマン・メルビルは、父の蔵書をよく読む少年でしたが、11歳のころに事業の失敗をきっかけに父が亡くなったため、学校を中退するとニューヨーク州立銀行で働きました……。

2013年  [おもしろ民話集 94] ふしぎな太鼓
むかし、あるところに源五郎という男がいました。ある日、源五郎が川べりをぶらりと歩いていると、小さな太鼓(たいこ)が落ちていました。源五郎はそれをひろって、ポンポンたたいてみると、とてもいい音がします。そこで、「銭出ろ、ポンポン」「うまいもん出ろ、ポンポン」「酒が飲みたいポンポン」と、かってなことをいいながら、太鼓をたたいていました……。

2012年 「希世の文人学者」 会津八一
奈良を愛し、美術評論家・歌人・書家として大正、昭和期に活躍した会津八一(あいづ やいち)が、1881年に生れた日です。新潟市の旧家「会津屋」に生まれた八一は、中学生のころから『万葉集』や良寛の歌に親しみ、子規の文学革新に共鳴して俳句を地元の新聞に発表したりしました。1906年に早稲田大学英文科を卒業後は、新潟県にある高校の英語教員をしながら、多くの俳句・俳論を残します……。

2011年  抒情詩の室生犀星
大正・昭和期に活躍した詩人・小説家の室生犀星(むろう さいせい)が、1889年に生まれた日です。加賀(石川県)藩の足軽頭だった小畠家の私生児として生まれた犀星(本名・照道)は、犀川のほとりにある真言宗の寺の住職にもらわれ、7歳のとき室生家に養子となりました。「お前はオカンボ(妾の金沢方言)の子だ」とはやされたようで、50歳を過ぎたころに刊行された『犀星発句集』に 「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」と詠むほど、犀星はこのハンディを引きずっていたようです……。

2008年  すぐれた童話をのこした農民詩人・宮沢賢治
「雨にも負けず」 などの詩や 「風の又三郎」 「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」 などの童話の作者として有名な宮沢賢治が、1896年に生まれた日(戸籍上)です。「注文の多い料理店」 も、賢治の童話の一つで、次のような内容です。二人の紳士が猟にでました。でも、1匹も獲物がとれないので、山を下りようとしたところ、「山猫軒」というレストランがあるので、のぞいてみることにしました。すると、「当店は注文の多い料理店です」とガラス戸に書いてあります……。

2007年 「いちばん」 というほめ言葉にご用心
ある日のことです。小学校で、何かの行事でもあったのでしょう。母と子が連れだって、校門をでてきました。母親の手を肩に受けて、子どもは、とっても楽しそうです。ところが、そのうしろを歩いていると、母親が子どもに語りかけているこんな言葉がきこえてきました。「あなたが、いちばんよかったわよ。着ている服もいちばんかわいかったし、声も、いちばんきれいだったわ……。

2006年  おこりじぞう
この絵本「おこりじぞう」(山口勇子作・四国五郎絵 金の星社刊) の内容は次の通りです。原爆で焼け野原になった広島の町に 「わらい地蔵」 とよばれる石の地蔵さまがありました。その地蔵さまのところへ、体じゅう焼けただれた女の子がやってきました。女の子は小さな声で 「水、水」 と、水をほしがっています。これを見た地蔵さまの顔は、しだいに怒った顔になり、見開いた目から涙があふれだしました。そして、その涙は女の子の口もとへ流れていきました。しかし、女の子は、涙のしずくを飲み終えると動かなくなり、少女の死と同時に地蔵さまの頭はくずれて、小さな砂粒になってしまいました……。

2005年  全巻一括納品、分割払が不可欠
今後「いずみ書房の販売組織」をどういう仕組みにすればよいかと、自分なりに構想してみた。J・チェーンのように取扱商品が30点近くもある会社なら、それなりの売り上げも期待できるだろう。ところが当社の商品は、当面「ポケット絵本」のみである。W氏ほどのセールス力があるなら、一人でも1ヶ月に50〜80セットほど販売できるだろうから、当社の絵本だけで充分生活できるにちがいない。しかし……。
投稿日:2018年08月01日(水) 05:27

 <  前の記事 2018年版 7月31日はこんな日  |  トップページ  |  次の記事 2018年版 8月2日はこんな日  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/4577

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2018年08月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)