「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第1章「百科事典」の項を紹介してみよう。
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● 百科事典はけっして高価なものではない!
「あらゆる分野の知識を要約解説して、一定の順序に配列した書物」……これが百科事典です。つまり百科事典は、まぎれもなく、知識の宝庫であり、ここに家庭必備の書物といわれるゆえんがあります。それに、いまの百科事典は、しかめっ面して利用するものではありません。どの社の百科も、解説をやさしくし、カラー写真や図版をふんだんに入れ、家族みんなで楽しめるように、また、小・中・高校生でも気軽に利用できるように、くふうされています。では、解説の量はといえば、1百科事典平均、ふつうの単行本の200冊から300冊分以上に及んでいます。つまり、単行本にくらべたらはるかに安く、カラーテレビ1台分の投資で、文化の宇宙を手に入れることができるとしたら、こんな安価な買いものはないはずです。自分の趣味のこと、子どもの教育のこと、あるいは、夢にえがいている旅行地のことなどを拾い読みするだけでも、その価値が十分にわかります。
● みんな百科事典の虫になれ!
小学2年生の子どもが、百科事典の虫になってしまったという話があります。川原へ遠足に行ってきたわが子に、「川の中に小さな島(実は中州)があったけど、あれは、どうしてできたの」 と聞かれた父が、子どもといっしょに百科事典を開いたのが始まり。川の項目のページをめくると、さまざまな川の写真があり、川の誕生、構造、役割、流域などの記述があり、さらに、日本と世界の大きな川の比較表まである。これを見た子どもは、早くも目を見はりました。そして、さらに、父親の手から事典をうばってページをめくっていくうちに、同じ巻に、火山、火星、化石の色あざやかな写真や図がのっているのを知ると、もう、このときから、百科事典の虫になってしまったというのです。日ならずして、この家の百科事典は、1巻ずつ応接間から移動をはじめ、まもなく、全巻が子ども部屋へ。
● 手垢のついていないのは恥と知れ!
ところで、多くの家庭では、百科事典をどこに置いておられるのでしょうか。もし、貴重品でも扱われるようにして、硝子戸の中に収められていたり、購入時のすがたのまま調度品的な飾りものにされていたりしたら、まさに、宝の持ちぐされ。百科事典は、備品でも飾りものでもありません。たとえ10万円、20万円で購入したものであっても、百科事典は、あくまでも消耗品です。「高いお金をだして買ったのだから」「末代まで使うのだから」などという貧乏根性が、つい装飾品扱いにさせてしまうのでしょうが、それが根本的にまちがっています。百科事典を購入したということは、その中につまっている知識の宝庫を手に入れたということです。知識は、しまっていては何もなりません。それに、百科事典は時事性をも持っており、歳月をへるにつて、価値は漸減していくものです。購入した百科事典は、まず、巻ごとのケースなどは捨てて、家族みんなの手の届くところに置くことが第一。百科事典は、手垢でよごれているほど誇りであり、いつまでも美しいほど恥と知るべきです。
● 索引のじょうずな使い方を知れ!
百科事典のもっとも効果的な使い方を知っていますか。それは、索引の巻をフルに利用することです。もちろん、調べたい項目ののっている巻を、いきなり手にしてもかまいません。しかしそれでは多くの場合、音順配列のなかの1箇所だけに目をとおして終わりになります。ところが、ライオンは 「ライオン」 の項目のところのほか 「どうぶつ」 のところにも、ジェット機については 「ジェットき」 のところのほか 「ひこうき」 のところにも、というように、それぞれ関連項目のなかで多角的に解説されていることが少なくありません。したがって、索引をとおして知りたい項目へ迫っていけば、より広い、より深い解説へたどりつくことができます。また、項目によっては、その項目の自分の読み方と出版社の読み方の違いなどから、なかなか本項目にたどりつくことができずに、数巻をひろげてみることもありますが、索引を利用すれば、それもなくなります。索引は、百科事典の宝庫を開けるカギです。
● 拾い読みの楽しさを知れ!
百科事典は、何かを知りたい調べたいときだけページをめくる人が多いようですが、これでは、消極的すぎます。百科事典を購入したら、まず、どの巻でも手にとってページをめくり、拾い読みを楽しんでみることです。つまり、百科事典と遊んでみることです。思いがけない項目、思いがけない絵や写真にひきつけられて、それこそ、思いがけない知識を自分のものにすることができます。そして、そんな経験をなんどかくり返すうちには、きっと 「知るよるこび」 が忘れられなくなってしまいます。さあ、こうなればしめたもの、百科事典の宝庫は、もう、あなたのものになったのです。ときには、こっそり百科事典から親の権威を仕入れておくのも、おもしろいでしょう。親の思いがけない知識に、子どもが目を丸くすること、うけあいです。
● 子どもをひきつける方法を知れ!
親が子どもに何かをたずねられたとき、はじめから 「百科事典をひいてみなさい」 ではダメです。子どもを百科事典に近づかせようとするなら、親子で、あるいは家族ぐるみで、百科事典をめくり、まず、親が百科事典のおもしろさに感嘆してみせることです。親の感嘆ほど、子どもをひきつけるものはありません。子どもがテレビに夢中になっているときなど、そのそばで親が百科事典を開いて 「まあ、知らなかったわ」 「おもしろいことがいっぱいだわね」 などと、つぶやいてみせるのもいいでしょう。百科事典に見入っている親の楽しそうなすがたを見ると、子どもは、きっと、百科事典をのぞき見にやってきます。これでもう子どもは、百科事典の宝庫のとびらの前に立ったのです。百科事典をとおして、子どもが、何かを知ること、調べることのよるこびを知ってくれたら、それだけでも、百科事典を買い求めたかいがあったというものです。
● 巻が散っているのをよしと知れ!
百科事典がいつも所定の場所にそろっていないのを嘆く人がいたら、その人は失格です。ある巻は子どもの部屋に、ある巻は居間に、ある巻は食堂にと、散っていてよいのです。散っていることは、使われていることの、なによりの証拠なのですから。しかし、こうなるまでには、「百科事典は消耗品なんだ」 ということが、家族みんなのあいだに浸透しなければなりません。もしも、百科事典が4、5年でぼろぼろになったという家庭があったら、その家の人たちの目は、きっと、みずみずしい光をたたえているはずです。百科事典の中の宝は、家族みんなの頭の中へ住みかをかえたのですから。
(日本読書クラブ推薦百科事典の項は省略)