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最新記事【2017年12月18日】


● 今日(12月18日)の主なできごと

1956年 日本が「国際連盟」に加盟……この日、国際連合総会が開かれ、日本の国連加盟案を全会一致で可決した。これにより、日本は80番目の加盟国となった。1933年の国際連盟脱退以来、23年ぶりに国際社会へ復帰することができた。


● 今日の主な記念日・恒例日

東京駅の日……1914年のこの日、東京駅の完成式が行われたことにちなんだ記念日。1908年から工事が行われ、6年半かけて完成。12月20日に開業し、東海道本線の起点が新橋駅から移された。


● 今日生まれた人

1705年 山脇東洋……江戸時代中期の医師。わが国初の人体解剖の記録を、解剖図録『蔵志』に残す。

1843年 井上毅……明治期の官僚・政治家。法制局長官・文相歴任。明治憲法制定に参画。教育勅語など詔勅・法令を起草。

1863年 フランツ・フェルディナント……オーストリア皇太子。サラエボでセルビア人民族主義者によって暗殺。この「サラエボ事件」がきっかけで、第一次世界大戦勃発。

1870年 志賀潔……明治・大正・昭和期の細菌学者。「赤痢菌」を発見。


● 今日亡くなった人

1672年 保科正之……江戸時代前期の大名。会津初代藩主。江戸幕府4代将軍家綱を補佐。

1751年 大岡忠相……「大岡政談」の越前守として有名。ただし、名裁判官ぶりはほとんど作り話。

1779年 平賀源内……江戸中期の蘭学者・本草学者・戯作者・浄瑠璃作者・発明家。火浣布(かかんぷ)・エレキテル・寒暖計などを発明。

1848年 調所広郷……江戸時代後期の薩摩藩・家老。破綻寸前の財政を大改革により回復。

1932年 ベルンシュタイン……ドイツの社会民主主義理論家・政治家。

1985年 田中美知太郎……昭和期の哲学者・評論家。ソクラテス・プラトン研究の第一人者。


● 過去のマイブログ「12月18日」のテーマ

2015年 「薩摩藩の救世主」 調所広郷
江戸時代後期の薩摩藩の家老で、破たん状態の財政を大改革して回復させた調所広郷(ずしょ ひろさと)が、1848年に亡くなった日です。1776年、薩摩藩の下級武士川崎家の子として生まれた広郷(通称・笑左衛門)は、1788年に茶道家の調所清悦の養子となりました。1798年、隠居していた前藩主の島津重豪(しげひで)にその才能を見出されて茶坊主……。

2014年 「修正社会主義」 のベルンシュタイン
ドイツ社会民主主義の理論家で、「革命によることなく議会を通じて社会主義の実現」を提唱したベルンシュタインが、1932年に亡くなった日です。1850年、ベルリンにユダヤ系のブリキ職人の子として生まれたエドアルド・ベルンシュタインは、家が貧しかったために十分な教育を受けることができず、16歳で銀行員の見習いになり、独学で能力を伸ばし……。

2013年 「賢君」 保科正之
江戸時代初期に、高遠藩主、山形藩主を経て、会津藩初代藩主となり、幕府政治の中心をになった保科正之(ほしな まさゆき)が、1672年に亡くなった日です。1611年、第2代将軍徳川秀忠の3男、3代将軍家光の異母兄弟として生まれた保科正之(幼名・幸松)は、1617年7歳のとき、旧武田氏家臣で信濃の高遠藩主・保科正光の養子として育てられました……。

2012年  [おもしろ民話集 66] エミリーの赤い手袋
昔、ある村の小高い丘に、1軒の白い家がポツンと建っていました。その家には、たったひとり老人が住んでいて、村でおきた出来事をなんでも知っているので、村の人々のあいだでは「魔法使い」とささやかれていました。その村に、エミリーという女の子が母親とくらしていました。母親は夫が亡くなったために、昼間は畑仕事に出て、エミリーを育てていました……。

2009年  赤痢菌を発見した志賀潔
食べものや飲みものをとおして伝染し、高い熱とともに腹痛をおこして、血のまじった下痢便をするようになる赤痢。むかしは、この赤痢にかかると治療のしかたがわからず、たくさんの人が命を失いました。今日は、この病気をひきおこす赤痢菌を、世界で初めて発見したことで知られる細菌学者の志賀潔が、1870年に生まれた日です。潔は、明治の初めに仙台市で生まれ……。

2008年  江戸時代の奇才・平賀源内
江戸中期の蘭学者、博物学者でありながら、エレキテルの製作や燃えない布の発明、小説や戯作家としても活躍した平賀源内が、1779年に亡くなった日です。鎖国時代の日本にあらわれた天才的な科学者平賀源内。その科学の範囲は、植物学から天文学、地理学はもとより、鉱物学、物理学にまでおよびます。さらに、絵もかき、焼きものも作り、日本初の物産展を開催……。

2007年  どんなときも 「君ならできる」 と語りかける
近所に、いつも明るく、どんなことにも積極的な2人の子どもがいます。この子たちの母親が、同世代の子どもをもつ母親とおしゃべりしているのが聞こえてきました。「お宅のお子さんたちは、よくしつけられてうらやましいわ。何か秘訣があるんじゃない。教えてくださらないかしら」 と相手の母親。「秘訣なんて別にないわ。強いて言えば、子どもに“こうやれ……。

2006年  内向的な子、いじめられっ子
「あなたは本当に足が短いわね。お父さんにそっくり」 「お前は、まったく鼻ぺちゃだなぁ。お母さんのおかしいところに、よくも似たもんだ」「ますますオデブちゃんになるな。こんど牧場に行ってみろ、ブタにも笑われるぞ」。冗談半分でもいいから、こんなことを言ってあげましょう。いくら冗談でも、子どもは傷つけられます。そしてこの世でもっとも信頼する親から……。
投稿日:2017年12月18日(月) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)