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「千家中興の祖」 千宗旦

今日11月19日は、千利休が開拓したわび茶を、禅の精神性を加味した「宗旦流」とし、現代まで続く「武者小路千家」「表千家」「裏千家」(三千家)を3人の息子にそれぞれ興させた千宗旦(せんの そうたん)が、1658年に亡くなった日です。

1578年、千利休の後妻千宗恩の連れ子少庵と、利休の娘お亀の子として堺に生まれた宗旦は、10歳の頃に家督争いをさけるために、利休の希望で大徳寺に預けられました。春屋宗園のもとで禅の修行を積んで出家すると、将来大徳寺興隆を期待されるほどになりました。

1594年、利休を切腹させた豊臣秀吉により千家再興がかなうと、少庵の希望で還俗し、秀吉が利休から召し上げた茶道具を宗旦を名ざしで返したことから、宗旦が利休の後継者と目されるようになりました。やがて、妻帯して長男宗拙、次男宗守をもうけ、1600年ころには、少庵の隠居により家督を継ぎました。

こうして本格的に茶会活動をはじめると、弟子たちととも利休流のわび茶に精神主義的な奥深いものにし、茶の湯と禅の融合を心がけるようになりました。1620〜30年代ころは、小堀遠州による「きれいさびの茶」が好まれるようになると、宗旦は時代に逆行するように、一畳台目(約2畳の広さ)の茶室を構築したことから、まるで乞食修行を行っているように清貧であるということから、「乞食宗旦」と呼ばれたといわれています。

自らは、祖父利休の悲劇を顧みて仕官することはありませんでしたが、子どもたちの就職には熱心で、長男宗拙を加賀藩前田家に、次男宗守を高松松平家に、後妻にむかえた宗見との間に生まれた3男宗左を紀州徳川家に、4男宗室も加賀藩前田家に仕えさせました。

やがて69歳のころに、父少庵から相続し「宗旦流」の中心だった家屋敷を4男宗室に譲り(これがのちの「裏千家」)、北側に建てた隠居所に隠退しました。75歳のころにこの隠居所を、3男宗左に譲って4世を名のらせ、これがのちの「表千家」となりました。また次男の宗守に官休庵を建てて、「武者小路千家」の初代としました。(長男宗拙は勘当)

こうして宗旦は、祖父利休をしのぐ茶の湯者として高く評価され、一畳台目の茶室は、わび茶の精神を表した究極の茶室とされています。


「11月19日にあった主なできごと」

1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた小林一茶が亡くなりました。

1828年 シューベルト死去…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲したシューベルトが亡くなりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原〜京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京・大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。
投稿日:2015年11月19日(木) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)