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『選択の自由』 のフリードマン

今日11月16日は、自由な論理実証主義を実践し、ノーヘル経済学賞を受章したアメリカの経済学者フリードマンが、2006年に亡くなった日です。

1912年、ルーマニアからのユダヤ系移民の子としてニューヨークの貧民街に生まれたミルトン・フリードマンは、15歳で高校を卒業した後、奨学金を得てラトガーズ大学に入って学士を取得後、世界恐慌の惨状を目にしたこともあって、シカゴ大学院で経済を専攻するとわずか1年で修士号を取得しました。さらに、学費奨学金を得てコロンビア大学に入学してクズネッツの指導を受け、コロンビア大学と全米経済研究所の研究員として9年間働き、経済博士号を取得したのは34歳になってからでした。

その後フリードマンは、ミネソタ大学准教授をへて、1948年にシカゴ大学の教授となると、アメリカの貨幣史の研究をはじめ、貨幣がどういう経路をたどり経済にどんな影響を与えてきたかを精密に分析し、貨幣数量説による徹底した数理統計的数値を駆使した『アメリカ合衆国貨幣史1867〜1960』を1963年に著しました。

いっぽう、大学の同僚や学生たちとの討論の中で経済理論「マネタリズム」を主唱しました。これは、「経済は、自由市場の尊重と財政均衡がなくてはならず、経済成長に見合う通貨供給を行うことで経済の安定化がはかられる」とするもので、ケインズのいう、「政府が財政出動など積極政策で有効需要を作り出すことで活性化されるとする」に対するものでした(裁量的なケインズ的総需要管理政策批判)。この理論の正しさは、ケインズ派の逸材たちをブレーンとするケネディ政権時代に実証されました。

この理論は、またたくまに世界をかけめぐりました。1970代まで先進国の各国政府は、「スタグフレーション」(経済が停滞しているのにインフレが進むという奇怪な現象) に悩んでいました。フリードマンは、スタグフレーションにあるインフレの要素に対しての姿勢、政策・経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動や長期のインフレに決定的な影響を与えるとしました。とくに、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方(貨幣の中立性)は、インフレ抑制が求められる中で支持されました。

これらの功績により、1976年にノーベル経済学賞を受賞したばかりか、1970年代のスタグフレーションへの処方箋として人気を博し、1980年代のレーガン政権下では、大統領直属の最高経済諮問委員会のメンバーとして活躍したばかりか、イギリスのサッチャーの保守革命においても大きな影響を与えました。日本でも、1982〜86年まで日銀の顧問を務めています。またフリードマンは、シカゴ学派のリーダーとして、弟子たちから8名ものノーベル経済学賞受賞者を生み出すなど、多くの経済学者を育てました。

主著は、上記以外に『実証的経済学の方法と展開』『資本主義と自由』『一経済学者の抗議』や、世界的ベストセラーとなり今も読みつがれているシカゴ大学院時代の先輩で配偶者となったローズ夫人との共著『選択の自由』があります。


「11月16日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインの ピサロ は、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは中・南米のほとんどを長い年月支配することになりました。

1653年 玉川上水完成…江戸幕府は急増する江戸市民の水を補うために、治水技術にすぐれていると評判の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)に建設を命じ、玉川上水を完成させました。

1946年 「現代かなづかい」と「当用漢字表」…内閣は、これまでの「歴史的かなづかい」を現代の発音に近い「現代かなづかい」とする方針を発表しました(1986年に改正)。また「当用漢字表」1850字を告示し、日常生活に使う漢字を定めました。「当用漢字」は、1981年に範囲をよりゆるやかにした「常用漢字」1945字に改められ、2010年に「改定常用漢字表」2136字を答申し、現在に至っています。
投稿日:2015年11月16日(月) 05:34

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)