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『裸者と死者』 のメイラー

今日11月10日は、第二次世界大戦後の米国を描き、「ノンフィクション小説の革新者」といわれ、半世紀以上も刺激を与え続けたアメリカの作家メイラーが、2007年に亡くなった日です。

1923年、ニュージャージー州ロング・ブランチで生まれたノーマン・メイラーは、ニューヨークのブルックリンですごした少年時代から秀才の誉れ高く、1939年に16歳でハーバード大学工学部に入学しました。小説に興味を持ちはじめて積極的にアメリカ文学のありかたを研究し、18歳の時に最初の作品を公表しました。

在学中の1941年12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまると、この戦争がアメリカの歴史的な流れに反する行動ととらえ、1943年に大学を卒業すると、1944年に陸軍第112騎兵連隊に入隊、フィリピンのレイテ島およびルソン島の戦いに従軍します。そして、「生き残るのが奇跡」といわれた戦場から1945年8月の終戦とともに帰国を果たすと、同年9月からは進駐軍の一員として千葉県の館山に上陸、翌1946年5月まで銚子や福島県の小名浜(現いわき市)に駐屯しました。

帰国後は、レイテ・ルソン島の戦いをもとに1年半をかけて執筆した戦記小説『裸者と死者』(日本軍が占領する太平洋の孤島で戦い死んでゆく米軍の小隊を描く)を、1948年5月に発表しました。「誰も眠ることができなかった……」ではじまるこの作品は、メイラーが第112騎兵連隊に所属していたときの体験に基づくもので、わずか一夜で文学界の寵児となり、ニューヨークタイムズ紙のベストセラー1位に輝きます。やがて第二次世界大戦を描いた最良のアメリカ小説の一つとして評価され、国際的にも評判となって、1958年には同名タイトルで映画化され、世界的にヒットしました。

やがてメイラーは、レッドパージに屈し真の芸術とは何かを探究する青年を描く『鹿の園』、アメリカ文明の送信するメッセージから逃れきれない若者を描いた『なぜぼくらはベトナムへ行くのか』などで、1960年代のシンボルとなり、ピュリッツァー賞を受けた『死刑執行人の歌』や『夜の軍隊』など、話題作を次々に発表しました。

やがて、古代・現代・未来を扱った野心的な3部作を執筆すると宣言し、1983年にその第一部『古代の夕べ』(紀元前1200年ごろのエジプト宮廷を舞台に、4回も生を受けた一高官の野心と挫折を描く奇想天外の物語)、第二部にはミステリー仕立ての小説『タフ・ガイは踊らない』を発表すると、1987年に自ら映画化、役者を演じたりしてヒットさせました。

政治、ウーマンリブ、ボクシングなど、時代と性急にかかわるメイラーは、ときに「売名の猟犬」などといわれながらも、文壇の大御所として、その発言が注目されつづけた特異な作家でした。


「11月10日にあった主なできごと」

1619年 デカルトの決意…近代西洋哲学のもとを築き、哲学の父とよばれて歴史に名をのこしたデカルトが、「コギト・エルゴ・スム」(われ思う、ゆえにわれあり)という独自の哲学の基本を決意した日です。

1871年 スタンリーがリビングストンを発見…アメリカの新聞記者スタンリーは、行方不明になっていた探検家リビングストンを追い、アフリカ奥地で236日ぶりに発見しました。

1873年 内務省の設置…明治政府の実質上の中枢である内務省が設置され、大久保利通が初代内務卿に就任。警察、地方行政など対民衆行政のすべてを掌握することになりました。

1928年 昭和天皇即位…京都御所で、昭和天皇の即位式が行なわれました。27歳で即位した天皇は、60年以上の在位期間に、太平洋戦争敗戦、玉音放送、人間宣言など、激動の時代を歩むことになりました。
投稿日:2015年11月10日(火) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)