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「荒城の月」 の土井晩翠

今日10月19日は、島崎藤村と並ぶ国民的詩人として「藤晩時代」といわれた土井晩翠(どい ばんすい)が、1952年に亡くなった日です。晩翠は、英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳しています。

1871年、今の宮城県仙台市に、富裕な質屋の長男として生まれた土井晩翠(本名・林吉)は、和歌や俳句、読書を好んだ父や祖母の感化を受け、小学生のころから『水滸伝』『三国志』『十八史略』や『新体詩抄』を愛読するなど、広く文学に親しみました。祖父の「商人に学問は無用」という意向により小学校卒業後は、家業の質屋の見習いをしながら英語の通信教育を受けるいっぽう、自由民権運動に共鳴しました。

1887年に斎藤秀三郎主宰の仙台英学塾に通学を許され、やがて旧第二高校を経て、1894年に東京帝国大英文科に入ると、英語以外に、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語を学び、「帝国文学」の編集委員となって、西洋の詩の形をとり入れた自作の新体詩を次々と発表しました。

24歳で大学卒業後は、郁文館中学の教師をしながら、1898年にカーライルの『英雄論』を翻訳出版、1899年には高山樗牛の勧めで第一詩集『天地有情』を刊行すると、2年前に『若菜集』を発表していた島崎藤村とともに注目され、「藤晩(または晩藤)時代」といわれました。いっぽう1898年には、東京音楽学校(現・東京芸術大)から中学唱歌用の歌詞を委嘱され、「荒城月」(のちの「荒城の月」)を作詩。同校がこの詩につける曲を公募すると、滝廉太郎の曲が採用され、1901年に「荒城の月」として発表、「中学唱歌集」に収められて今も愛唱されています。

1.
春高楼の花の宴 巡る盃影さして  千代の松が枝分け出でし 昔の光今いづこ
2.
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて  植うる剣に照り沿ひし 昔の光今いづこ
3.
今荒城の夜半の月 変はらぬ光誰がためぞ  垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふはただ嵐
4.
天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿  映さむとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月

この歌が世界的な評価を得たのは、1921年イギリスへ演奏旅行に出たテノール歌手の藤原義江が、当時日本大使館の1等書記官だった吉田茂の努力で、文化人やマスコミを招いたパーティが開かれ、その席上で披露したこの曲の歌唱が、圧倒的な感銘をよびおこしてからでした。なお、歌詞にある「荒城(荒れた城)」は、晩翠の故郷「青葉城」、修学旅行で訪れた会津の「鶴ヶ城」、作曲者滝の郷里大分県竹田市にある「岡城址」のイメージを重ね合わせたとされ、それぞれの城には歌碑が建てられています。

その後、晩翠は帰郷し、母校の第二高校教授となり、1901年に第二詩集『暁鐘』を発表してからヨーロッパに遊学しました。1904年に帰国すると外遊中の作品を集めた第3詩集『東海遊子吟』を刊行し、その後『曙光』『天馬の道』など第7詩集まで刊行しています。

いっぽう、1924年にはバイロン没後100周年を期して『チャイルド・ハロウドの巡礼』を翻訳したり、昭和になってからはギリシャの叙事詩ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』を全訳すると、格調高い名訳として高く評価されました。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、土井晩翠翻訳の『イーリアス』など、9編を読むことができます。


「10月19日にあった主なできごと」

1956年 日ソ国交回復…「日ソ共同宣言」をモスクワで正式調印し、国交が回復することになりました。1951年に日本と連合国48か国とのあいだで講和条約が成立していましたが、ソ連がこの条約に調印をしなかったため、国交がとだえたままでした。これにより、日本は国際連盟に加盟することができました。

1987年 ブラックマンデー…ニューヨークの株式市場で、株価が22.6%の下落という史上最悪の下げ幅を記録し、世界各国の経済を大混乱におとしいれました。
投稿日:2015年10月19日(月) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)