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「反軍演説」 の斎藤隆夫

今日10月7日は、満州事変後の軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を徹底批判するなど、立憲政治家として軍部に抵抗した斎藤隆夫(さいとう たかお)が、1949年に亡くなった日です。

1870年、今の兵庫県豊岡市の農家に生まれた斎藤隆夫は、地元の小学校を卒業後、京都の中学に入るものの学生生活にいやけが生じ、郷里にもどって農作業を手伝いながら独学しました。やがて21歳の冬、東京まで徒歩で上京し、徳島県知事の書生をしながら、1891年に東京専門学校(早稲田大学の前身)行政科に入学、1894年に首席で卒業しました。1895年に弁護士試験に合格すると、渡米してエール大学大学院で公法や政治学を学び、帰国後は弁護士を開業しました。

1912年、郷里から衆議院選挙に立憲国民党より出馬して初当選をはたすと、以後、1949年まで衆議院議員13回の当選を果たしました。立憲同志会、憲政会、立憲民政党に属して、普通選挙法導入前には衆議院本会議で「普通選挙賛成演説」を行ったり、浜口雄幸内閣では内務政務次官、第2次若槻礼次郎内閣では法制局長官、斎藤実内閣では再び内務政務次官を務めました。

斎藤は背が低かったため、「ネズミの殿様」とあだ名されながらも、硬骨な自由主義者として、巧みで説得力のある演説には定評がありました。特に1936年5月の「二・二六事件」(陸軍の青年将校がおこしたクーデター)後に、議会で軍部があからさまに政治に関わりはじめると、「粛軍演説」を行い、自粛をうながしたことはよく知られています。

また、1940年2月には政府と軍部の日中戦争指導のありかたを批判した「反軍演説」を行い、軍部を怒らせて懲罰に付され、議員を除名されました。しかし、国民からは激励の手紙がたくさん届くほどで、1942年のいわゆる「翼賛選挙」(東条英機内閣による候補者推薦制度による選挙)では、非推薦候補でありながら、兵庫5区から最高点で当選し、議席を回復しています。

太平洋戦争敗戦後は、日本進歩党の結成に務め、さらに民主党、民主自由党に所属し、この間、第1次吉田茂内閣と片山哲内閣の国務大臣となりました。政党人としては、一度も派閥に所属することなく、独自の道を歩んだ信念のある政治家でした。


「10月7日にあった主なできごと」

1674年 狩野探幽死去…江戸幕府代々の御用絵師として、日本画を代表する狩野派の栄える基礎を築いた狩野探幽が亡くなりました。

1949年 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立…西ドイツ成立後1か月もたたないこの日、東ドイツが誕生。ソ連の助けを借りて、社会主義国家として第1歩をふみだしました。なお、41年後の1990年10月3日に両ドイツは統一を回復。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利を放棄して、統一ドイツは完全な主権をもった国家として国際社会に復帰しました。
投稿日:2015年10月07日(水) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)