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「万朝報」 の黒岩涙香

今日10月6日は、日本初の推理小説作家であり、明治から大正期の新聞記者・経営者として活躍、『巌窟王』『噫無情(ああむじょう)』などを翻案・紹介した黒岩涙香(くろいわ るいこう)が、1920年に亡くなった日です。

1862年、今の高知県安芸市に土佐藩郷士の子として生まれた黒岩涙香(本名・周六)は、藩校文武館で漢籍を学び、1874年に地元の政治家板垣退助らによる自由民権運動に魅かれると、16歳で運動家を志して大阪に出て、中之島専門学校で英語を学び、演説会の花形少年弁士になりました。

翌1879年に上京、成立学舎や慶応義塾に進学するもののいずれも中退して独学に切りかえ、1882年に洋書を種本に『雄弁美辞法』を著しました。翌年「同盟改進新聞」の主幹となり、1884年には「日本たいむす」の主筆となって翻訳出版の会社を興しました。ところが、3年前に執筆した、北海道開拓長官黒田清隆の官有物払下げの攻撃記事が問題化され捕えられてしまいました。横浜の監獄に収監され、道路工事の土運びをさせられるうち、政論にかかわるより、大衆の心にしみとおるジャーナリズムの仕事に携わることを決意します。

1889年涙香は、のちに江戸川乱歩から絶賛される3部構成の『無惨』という推理小説を書きました。3段階の探究方法を駆使して最終的に同一犯人を探し当てるという「論理対経験の対照」を絵解きにした独自の着想でした。その後、「今日新聞」(のちの「都新聞」)に連載した翻案小説『法廷の美人』がヒットして、たちまち翻案小説スターとなり、次々に新作を発表していきました。その方法は、原書を読んでストーリーを解したうえで一から文章を創作するというものでした。こうして、『鉄仮面』(ボアゴベイ作 1892〜93年刊)、『巌窟王』(デュマ作 1901〜02年刊)、『噫(ああ)無情』(ユゴー作 1902〜03年刊)など約100編を次々と流麗な自由訳で伝えた功績は高く評価されています。

特にこの手法を本格化させたのは、1892年に朝報社を設立し、「万朝報(よろずちょうほう)」を創刊してからで、この紙名には「よろず重宝」の意味がこめられた絵入りフリガナ付タブロイド判の日刊新聞でした。日本におけるゴシップ報道の先駆として一世を風靡し、ある時、淡紅色の用紙を用いたため「赤新聞」とも呼ばれ、第三面に扇情的な社会記事を取り上げたことから「三面記事」の語を生んでいます。同紙は、既に述べた『噫無情』など文学作品の他、『相馬家毒殺騒動』(相馬事件)や『淫祠蓮門教会』といったスキャンダラスな出来ごとを他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばして東京一の発行部数を誇り、最大発行部数は30万部を記録するほどでした。

ところが、スキャンダル報道だけでは、大衆にあきられて売れなくなると、幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦らといった進歩的思想家を入社させ、青年学生層を読者として開拓する方針に転じ、「理想団」という談話会を組織して社会改良運動を起こそうとしました。しかし、1904年に起こった日露戦争をめぐり、涙香が開戦論に踏み切ったことから、非戦論の幸徳・内村・堺ら代表的な記者が退社しました。やがて、明治末期には他紙との営業競争に後れをとるようになり、第2次大隈内閣に接近したころから「万朝報」の声望は低下、新聞経営への意欲を失っていったのでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、涙香の探偵小説『無惨』など、5編が公開されています。


「10月6日にあった主なできごと」

1866年 孫文誕生…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導し、「国父」 と呼ばれている孫文が生まれました。

1954年 尾崎行雄死去…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄が亡くなりました。
投稿日:2015年10月06日(火) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)