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「名誉革命」 とジェームズ2世

今日9月17日は、17世紀後半、王位を追われフランスへ亡命したイギリス国王のジェームズ2世が、1701年に亡くなった日です。

1633年、イギリス国王チャールズ1世とフランス王アンリ4世の娘マリアとの間に生まれたジェームズは、1640年にイングランド内戦「清教徒(ピューリタン)革命」が始まると、一家で王党派の拠点のあったオックスフォードに移り、1644年に「ヨーク公」となりました。内戦は国王側の敗北に終わり、オックスフォードも1646年に陥落。ジェームズは聖ジェームズ宮殿に監視つきで幽閉されると何度か脱出を試み、1648年に長老派のバンプフィールドの助力を得て、女装してオランダのハーグへ逃れ、その後アメリカにわたって亡命生活を送りました。

1649年、父チャールズ1世が「清教徒革命」によって処刑され、革命を指導していたクロムウェルは共和国をつくりましたが、厳格な清教徒主義の下で劇場や競馬場、酒場をつぶすなど、陽気なイギリス国民の反発を買いはじめました。1653年にクロムウェルは、国王の権力に匹敵する「護国卿」となりましたが成果はあがらず、1658年にクロムウェルが亡くなると、共和国は急速に衰えました。

1660年の王政復古によって兄のチャールズ2世が国王になると、ジェームズは帰国して海軍長官となりました。1664年には海軍大将としてアメリカに渡り、対オランダ戦争を指揮して、オランダ植民地ニューアムステルダムを占領、自らの名にちなんでニュー・ヨークとしました。ところが、そんな戦果をあげたにもかかわらず、カトリック教徒だったために、審査法(非国教徒は官公庁に勤めることができない) に触れて1673年に海軍長官を罷免されてしまいました。また、兄王に嫡子がなかったため、ジェームズが王位継承をすることになっていましたが、議会は3度にわたり、「王位継承排除法案」を提出しましたが成立しませんでした。

こうして1685年、兄が亡くなりイギリス国王となったジェームズ2世は、即位直後に前王の庶子モンマス公の反乱がおこるもののこれを鎮圧、その協力者には極刑を科しました。さらに、議会の反対を押し切って常備軍を設置したり、1687年には信仰寛容宣言を行ってカトリック勢力を復活させて官職に抜てきしたり、宗教裁判所の復活、大学への干渉など、専制的な政治を行いました。

これに反発した議会は1688年、議会内に生まれたばかりのホイッグ党とトーリー党が共同してジェームズ2世を廃位して、王の長女メアリー(のちのメアリー2世)と夫のオランダ総督ウィレム(のちのウィリアム3世)をイギリス王として迎えました。

国民の信頼を失い孤立したジェームズは、軍隊を率いて上陸したウィレムに対し戦いを挑む姿勢を見せず、フランスへ亡命しました。そのためイギリス国民は、この政権交代が流血のない革命だったことを誇りにし、「名誉革命」と名づけました。こうして王国は、ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治となったのでした。

なお1689年12月、議会で国王の理解のもとに成文化したのが「権利の章典」です。法典は今なお、イギリス不文憲法の根本法のひとつになっています。


「9月17日にあった主なできごと」

1867年 正岡子規誕生…俳誌「ホトトギス」や歌誌「アララギ」を創刊し、写生の重要性を説いた俳人・歌人・随筆家の正岡子規が生まれました。

1894年 黄海の海戦…日清戦争で、日本連合艦隊と清国の北洋艦隊とが鴨緑江沖の黄海で激突、清国海軍は大損害を受けて制海権を失いました。日本海軍が初めて経験する近代的装甲艦を実戦に投入した本格的な海戦として知られ、日本の勝利を決定づけました。
投稿日:2015年09月17日(木) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)