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「田沼時代」 と徳川家治

今日8月25日は、江戸幕府の第10代将軍徳川家治(とくがわ いえはる)が、1786年に亡くなった日です。

1737年、第9代将軍徳川家重の長男として江戸城西ノ丸に生まれた家治(幼名・竹千代)は、幼少時から聡明で、第8代将軍であった祖父吉宗の期待を一身に受けて育ちました。吉宗は1751年に亡くなるまで、家治に直接の教育・指導を行ったのは、言語が不明瞭だった家重に伝授できなかった帝王学を教えるためでもありました。

1760年、父家重の隠居により第10代将軍となった家治でしたが、まもなく亡くなった家重の遺言に従い、田沼意次を側用人に重用し、老中松平武元(たけちか)らと共に政治に励みました。

家治治政中の26年間は、宝暦〜天明期の幕藩制転換期にあたり、しかも明和の江戸大火、天明の浅間山大噴火、大飢饉と百姓一揆、都市打ちこわしの大高揚と社会不安の激化した時期とぶつかっていました。そんな中、1779年に武元が亡くなってからは、しだいに幕政に興味を失い、代って老中に任命した田沼に任せ、自らは好きな将棋などの趣味に没頭し、大奥にいることが多くなりました。

いっぽう政治の実権を握った田沼は、印旛沼・手賀沼干拓を実施し、蝦夷地開発や対ロシア貿易を計画するなど、スケールの大きな政策を推進しました。また、株仲間を公認するなど商人の利益を保護し、商人たちから運上金を取る新しい税制を設け、南鐐二朱銀という東西の通貨の一元化を計るなど、「田沼時代」といわれる成果をあげました。田沼の賄賂政治への批判があるのに対し、最近では「意次を重用した事自体が英断である」として、家治を高く評価する歴史家が出てきているのは興味深いものがあります。

武元が亡くなった同じ1779年、家治の世継ぎといわれた長男の徳川家基が、鷹狩りの帰路に突然もがき苦しみ、18歳の若さで死去すると、その突発死は、家基の将軍就任によって失脚することを恐れた意次(家治歿後まもなく失脚)による毒殺説、大奥内に「意次悪人説」を広めた家基の生母である大奥出身の知保(蓮光院)が罪を意次に負わせようと毒殺したなど、多くの暗殺説を生んでいます。

なお家治は1781年、一橋家当主・徳川治済(はるさだ)の長男・豊千代(後の第11代将軍・徳川家斉)を自分の養子にむかえました。


「8月25日にあった主なできごと」

1543年 鉄砲伝来…ポルトガル人二人をふくむ100人以上も乗せた大きな船が九州の種子島に漂着し、日本に鉄砲を伝えました。

1819年 ワット死去…イギリスの産業革命で最大のできごとといわれる、蒸気機関を発明したワットが亡くなりました。

1830年 ベルギー独立革命…ベルギーの中心都市ブリュッセルの劇場で演じられていたナポリの独立闘争のオペラに刺激されて、ベルギーのオランダからの独立革命がおこりました。たちまち各地に運動が飛び火して10月に独立宣言がなされ、年末までにオランダをのぞくヨーロッパの列強は、ベルギーの独立を認めました。

1868年 中江藤樹死去…人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」といわれ、その徳望が慕われた江戸時代の儒学者・中江藤樹 が亡くなりました。

1944年 連合軍パリ解放…北フランスのノルマンディー上陸に成功した連合国は、ドイツ軍と激しくたたかいフランスの首都パリに入るとドイツ軍は降伏、パリは4年ぶりに解放されました。
投稿日:2015年08月25日(火) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)