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「解放者」 オコンネル

今日8月6日は、19世紀前半のイギリス統治下のアイルランド人政治家で、「カトリック教徒解放運動」の結果、政治的・社会的差別の大半を撤廃することに成功したオコンネルが、1775年に生まれた日です。

アイルランドの南西部ケリー州の小地主の息子として生まれダニエル・オコンネルは、富裕な叔父のもとで育ち、フランスのカトリック学校に留学した際、フランス革命を目の当たりに見て、政治的実現のために暴力を使うことに否定的になりました。帰国後ダブリンで弁護士業を営み、名声と冨を得ます。

当時のアイルランドは、イギリスの植民地となっていて、土地の大部分はイギリス人地主に所有され、ダブリンの総督によって治められていました。また、イギリスでは国教徒以外は公職につけない決まりがあるほか、政治的にも社会的な差別がありました。さらに1800年、「合同法」という法律によりアイルランドがイギリスに併合されても、差別は解消されないままでした。

オコンネルは、「合同法」に反対をとなえ、カトリック教徒に対する差別の撤廃を求める運動をはじめると、1823年に、月1ペニーという安い会費で参加できる「カトリック協会」を設立して、階層の違いをこえた幅広いアイルランド人の結集をはかり、大衆運動を展開しました。

いっぽうオコンネルは、イギリス下院議員のクレア県補欠選挙に立候補しました。カトリック信者は当選しても議員になれないことは判っていましたが、反カトリック派の候補者を落選させるためだけに立候補したのでした。こうして、対立候補の2倍以上の票を獲得して目的を達しました。とうぜん政府はオコンネルに議員の資格を与えません。

これがきっかけとなって、カトリック教徒が大半を占めるアイルランドに、政府を非難する声が全国的に盛り上がり、暴動の危険性も出てきました。この情況を察したウェリントン内閣は、1829年4月、「カトリック教徒解放法」を議会に提出し、可決成立させました。こうしてカトリック教徒にも議員、閣僚、裁判官、陸海軍の将官など公職につける道が開かれ、オコンネル自身も下院議員となりました。そして、イギリス議会で、政府のアイルランド政策を力強く演説する姿は「解放者(リベレイター)」として尊敬されました。

1843年にオコンネルは、「合同法」を解消し、アイルランド独自の議会を開設することをめざして大衆運動を展開しだすと、アイルランドの独立をめざす若い世代も「青年アイルランド党」を結成し、オコンネルとともに運動を進めていました。ところが、あくまで議会を通じおだやかに運動を進めようとするオコンネルの人気は急速に衰え、実力で独立を勝ち取ろうという青年アイルランド党の運動が主流となっていきました。気落ちしたオコンネルはアイルランドを去り、ローマへ向かう途中で亡くなりました。

なお、アイルランドは、1916年にダブリンに「アイルランド共和国」が生まれ、1921年に「アイルランド自由国」として独立しますが、北部アルスター地方の6州は「北アイルランド」としてイギリスに留まったことで、内戦になっています。


「8月6日にあった主なできごと」

1660年 ベラスケス死去…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが亡くなりました。

1881年 フレミング誕生…青かびからとりだした物質が大きな殺菌力をもつことを偶然に発見し、ペニシリンと命名して世界の医学者を驚かせたフレミングが生まれました。

1945年 広島に原爆投下…アメリカ空軍B29爆撃機が、人類史上はじめて原子爆弾を広島市に投下しました。爆心地から半径500m以内の人々はほとんどが即死、2km以内の建物は全壊、爆発とそののちの火災で、市内95000戸の9割が灰となりました。市民およそ31万人のうち、罹災者は17万人をこえ、死者および行方不明者92000人以上、重軽傷者123000人以上と、日本占領軍総司令部(GHQ)は翌年発表しましたが、じっさいの死者は1945末までに14万人をこえていたといわれます。
投稿日:2015年08月06日(木) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)