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「フランス革命」 とロベスピエール

今日7月28日は、フランスの王政を廃して共和制を打ち立てたものの、「恐怖政治」を行って処刑されたロベスピエールが、1794年に亡くなった日です。

1758年、北フランスのアラスに弁護士の子として生まれたマクシミリアン・ロベスピエールは、幼くして母を亡くし、父も家出して行方不明になったため、わずか6歳で弟とともに母方の祖父に引き取られて育ちました。アラスの神学校に入ると秀才のほまれ高く、奨学生となって1769年にバリのルイ大王学院に入学、古典や法律を学んだほか啓蒙思想にふれ、とくに晩年のルソーに会って深い影響を受けました。

1781年、法学士の資格をとり故郷にもどると、弁護士となって貧者や弱い立場の弁護をするうち、旧体制の矛盾を痛感するようになりました。1789年5月、ルイ16世が宮廷の浪費や対外戦争で悪化した財政を特権階級への課税で乗り越えようとしたことに貴族が反発、この事態を打開しようと175年ぶりに三部会を開催することになりました。この三部会の第三身分(平民)代表として議員となったロベスピエールは、ベルサイユに移りました。ところが、議決方法をめぐって紛糾し、第三身分が独自に国民議会を結成すると、国王は軍隊の力で国民議会に圧力をかけました。

怒ったパリ市民は、同年7月14日バスティーユ監獄を襲撃したのをきっかけに、全国で農民が蜂起し、革命がおこります。国民議会は封建的な特権の廃止を宣言し、自由と平等、国民の主権などを謳う人権宣言を採択しました。1791年には有産市民に選挙権があたえられる立憲君主政の憲法を制定し、国民議会に代わって立法議会が発足すると、立憲共和制をめざすジロンド党が優勢となり、1792年には革命へ干渉するオーストリアに宣戦布告しました。いっぽう議員を辞職してジャコバン党のリーダーとなったロベスピエールは、革命を遂行するには貧しい民衆や農民と同盟しなくてはならないと考えるようになります。

1792年9月、全国から結集した義勇軍と民衆が王宮を襲撃して、王権の停止と男子普通選挙による共和制の国民公会が発足すると、ロベスピエールは再び議員に選ばれ、ブルジョワジーだけの利権を守ろうとするジロンド党に対抗し、民衆や農民とも協同して内外の敵から防衛するというジャコバン党の新しい路線を打ち出しました。そして、1793年6月、民衆の蜂起の力を借りてジロンド党を追放して権力を握ると、反革命派やジロンド派などを即決の裁判で断頭台に送る「恐怖政治」を始めるとともに、革命政府の方針に従わない民衆運動にも弾圧を加えなくてはならなくなりました。

こうして、ジャコバン党内でも支持基盤が狭くなり、1794年7月27日、穏健共和派によるクーデター「テルミドールの反動」がおこり、翌日、22人の同志とともに処刑され、37年の短い生涯を閉じました。その死後も長期間にわたり、「恐怖政治の元凶」として非難され続けてきましたが、今日では、デモクラシーの先駆者として再評価されています。


「7月28日にあった主なできごと」

1750年 バッハ死去…宗教的なお祈りや日ごろのなぐさめ程度だった音楽を、人の心を豊かに表現する芸術として高めたバッハが亡くなりました。

1866年 ポター誕生…世界で一番有名なうさぎ「ピーターラビット」シリーズ23点の作者ビアトリクス・ポターが生まれました。

1914年 第1次世界大戦勃発…オーストリアがセルビアに宣戦布告したことから、第1次世界大戦がはじまりました。三国同盟を結んだドイツ、オーストリア、イタリアと、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国が対立して、戦争はヨーロッパじゅうに広がりました。イギリスと同盟を結んでいた日本や、アメリカも連合国側に加わり、30か国以上が参戦して、4年以上にわたる戦いをつづけ、連合国側の勝利に終わりました。
投稿日:2015年07月28日(火) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)