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「ファスナーを世界に広めた」 吉田忠雄

今日7月3日は、YKKを創業し、ファスナーで世界シェア45%を誇り、アルミサッシ分野にも進出する大企業に築き上げた吉田忠雄(よしだ ただお)が、1993年に亡くなった日です。

1908年、今の富山県魚津市に小鳥の飼育や販売をする家に生まれた吉田忠雄は、地元の高等小学校を卒業後の1928年に上京、中国陶器などを輸入販売する古谷商店に就職しました。辛い肉体労働に励むものの店が閉店したことで1934年、扱い品目の一つだったファスナーで商売をしようと、東京日本橋にサンエス商会を設立しました。10代の店員2人を雇い、たった3人の船出でした。

吉田のファスナー製造は、部品ごとに仕入れ、それを組み立てる方法だったため、そこに一つでも粗悪な部品が混じると、商品そのものが不良品になります。不良品のため返品の山ができたことで、吉田は、部品の材料までも自分でこしらえようと工夫を重ね、なんとか軌道に乗りかけました。ところが太平洋戦争がはじまり、工員たちは兵隊にとられ、東京大空襲で工場を失いました。

しかたなく魚津に戻った忠雄は、魚津鉄工所を買収して「吉田工業株式会社(YKK)」とし、、一人でファスナーの生産を再開して売り歩きました。やがて戦争が終わり、復員してきた工員たちとともに、工場は活気をとりもどしました。ところが、アメリカ製のファスナーが安価で、品質が格段に優れているのに衝撃を受け、これをしのぐものができなければ日本のファスナー事業に明日はないという危機感を抱くと、苦労の末に、1台3〜4万ドルという驚異的な価格のチェーンマシーン(自動植付機)をアメリカから購入、たちまち日本一の生産を誇るまでになりました。

1954年には、黒部工場を建設して目標だった一貫体制を築き上げると、1958年には日本で初めてアルミ合金の大量生産に成功し、アルミサッシ分野にも進出しました。また、樹脂ファスナーなど製造技術の改良や開発に挑み、やがて積極的な海外進出により、世界シェア45%を誇るまでの大企業につくりあげました。

吉田の行動を支えていたのは、「善の循環」という考え方でした。これは、小学生の時読んだ、アメリカの鉄鋼王カーネギー伝にある言葉、「他人の利益を図らなくては、自ら栄えることはできない」が根底にあり、自らの儲けより人を喜ばせることに重点を置きました。そして、消費者、地元、関連企業、従業員、すべてに利益が還元されるという理念を貫いたのでした。


「7月3日にあった主なできごと」

607年 遣隋使…聖徳太子は、小野妹子に国書を持たせ、隋(中国)に派遣させました。

1549年 キリスト教伝来…スペインの宣教師ザビエルは、弟子のヤジロウを案内役として、日本にキリスト教を伝えるため、鹿児島に上陸しました。

1863年 ゲティスパークの戦い…アメリカ南北戦争の最大の決戦「ゲティスパークの戦い」が決着し、北軍が勝利する転換点になりました。
投稿日:2015年07月03日(金) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)