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「ビニロンの発明者」 桜田一郎

今日6月23日は、でんぷん、セルロース、タンパク質、プラスチックなど、大きな分子でできている物質を扱う「高分子化学」分野で、先駆者といわれる桜田一郎(さくらだ いちろう)が、1986年に亡くなった日です。

1904年、京都に生まれた桜田一郎は、京都帝国大学(京都大)工学部を卒業後、コロイド科学・繊維化学・高分子化学研究の道に入りました。1928年からドイツへ留学し、ライブツィヒのオストワルトやベルリンにあるカイザー・ウィルヘルム研究所のヘスのもとで高分子化学の先端技術を吸収し、帰国後の1935年、母校の教授となると、工学部長や科学研究所長を務めながら、1967年まで「高分子化学」の全領域での研究を展開しました。

その間、1938年にニューヨークのデュポン社が合成繊維ナイロンを発表したことに対抗し、翌1939年にポリビニール合成繊維の創製に成功し、「合成1号」を完成させました。そして戦後の1950年、倉敷レイヨンから「ビニロン」の名で工業化され、世界で最初のビニロン繊維の一貫生産を開始しました。

ビニロンは、木綿によく似た合成繊維で、戦後の繊維不足の時期には学生服や作業服などに広く用いられ、その後は、熱に強いことから、消防用出動服などに使用されています。その他、ロープ、魚網、工業用ベルト、アルカリ乾電池の材料(セパレーター)、セメントやコンクリートの補強材など産業資材として幅広く用いられ、農業資材としては、防虫防鳥用の果樹ネット、野菜などを栽培するときの被覆材などに使われています。最近では、石綿(アスベスト)が空中に飛散した繊維を長期間大量に吸入すると肺癌や中皮腫の誘因となることが指摘されるようになり、その代替品としてビニロン需要が急増、日本はビニロン生産シェアが世界の80%を超えているため、日本の技術は世界的に再評価されています。

なお、桜田は、「高分子化学」の名付け親となったばかりか、1951年に設立された高分子学会の創立者の一人であり、高分子研究者の国際交流に貢献し、この学問分野を日本にしっかり根づかせた最大の貢献者として、1977年文化勲章を受章しました。


「6月23日にあった主なできごと」

1794年 水野忠邦誕生…江戸時代の末期に「天保の改革」を指導したことで知られる政治家・水野忠邦が生まれました。

1908年 国木田独歩死去…『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『源叔父』 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩が亡くなりました。

1967年 壺井栄死去…『二十四の瞳』『坂道』『母のない子と子のない母と』などを著した女流作家の壺井栄が亡くなりました。
投稿日:2015年06月23日(火) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)