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「冷戦の終結」 とレーガン

今日6月5日は、スポーツアナ、映画俳優、俳優組合委員長、カリフォルニア州知事をへて、最年長としてアメリカ第40代大統領となり、「強いアメリカ」を印象づけ、冷戦を平和的に終結させることに貢献したレーガンが、2004年に亡くなった日です。

1911年、イリノイ州タンピコに生まれたロナルド・レーガンは、幼少の頃から教会によく通い、やがて信徒の前で説教をするようになったことで、演説力をつちかいました。地元の高校を経て、1928年イリノイ州のユーリカ大学で経済学と社会学を専攻、1932年に卒業後は、大リーグチーム「シカゴ・カブス」のラジオアナウンサーになりました。

その後ハリウッドに向かい、映画俳優として1939年末までに19本の映画に出演。第二次世界大戦中は、アメリカ陸軍の映画部隊に配属され、訓練用・教育用の映画やプロパガンダ映画の制作・ナレーションに携わりました。その後、俳優のかたわら映画俳優組合の委員長となり、1950年代の終わり頃からは、映画スターとしての知名度と巧みな話術を生かし、テレビショーの司会やテレビCMへの出演など活動の場をテレビに移し、その人気を背景に、政治の世界へ代えていきました。

1967年1月、第33代カリフォルニア州知事に就任し、自由主義的政治を行うと、1968年に大統領選に初出馬したものの、ニクソン元副大統領に予備選の段階で敗退。1976年の大統領選に再出馬し、現職のフォード大統領に肉薄するものの惜敗。1980年の大統領選では、共和党大統領候補指名を受け、現職の民主党大統領カーターを破って当選を果たしました。

こうして、大統領に最年長(69歳349日)で就任すると、イランのアメリカ大使館人質事件を解決し、大統領暗殺事件も未遂で乗り越えました。内政面ではアメリカ経済の回復を政策目標に掲げ、大幅減税と積極的財政政策を実施し、貿易赤字と財政赤字の増大という「双子の赤字」を抱えることなってしまいました。いっぽう外交面では、前大統領時代にイラン革命やニカラグアで親米独裁政権が失われていたのに対し、この失地を挽回するために強硬策を貫き、ベトナム戦争以来の本格的な外国への武力侵攻をグレナダに対して行うなど、「強いアメリカ」を印象づけました。

2期目は数々のスキャンダルに見舞われたことで、各方面から厳しい批判が目立ったものの、デタント(米ソ対話)を否定し、「力による平和」戦略によってソ連及び共産主義陣営に対抗する一方、「レーガン・ドクトリン」をスローガンに、イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相、西ドイツのコール首相らと密接な関係を結び、世界じゅうの反共主義運動を支援しました。

やがてソ連の解体、ベルリンの壁崩壊に代表される東側諸国の民主化につながったことで、冷戦の平和的な終結に大きく貢献し、2期目の大統領に就任した時点で75歳に迫る高齢だったものの、2期8年の任期を満了しました。


「6月5日にあった主なできごと」

1215年 栄西死去…鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西が亡くなりました。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。

1864年 池田屋騒動…京都三条木屋町の旅館・池田屋に、京都の治安組織で近藤勇の率いる新選組が、公武合体派の守護職松平容保(会津藩主)らの暗殺を計画していた尊皇攘夷派の志士を襲撃、およそ2時間にわたり斬り合い、志士数名を殺害しました。

1882年 柔道道場…嘉納治五郎は、東京下谷の永昌寺に柔道の道場(のちの講道館)を開きました。
投稿日:2015年06月05日(金) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)