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「鎌倉幕府滅亡」 と北条高時

今日5月22日は、鎌倉幕府の第14代執権で、新田義貞らによる鎌倉攻めにあって敗れた北条高時(ほうじょう たかとき)が、1333年に自害した日です。

鎌倉時代中期、当時大陸を支配していたモンゴル帝国と属国の高麗王国によって2度にわたる日本への侵攻(1274年「文永の役」・1281年「弘安の役」)された、いわゆる「蒙古襲来」に対し、幕府はなんとか退散させたものの、懸命に闘った御家人たちへの褒章に苦慮したことで、急速に衰えをみせはじめていました。

1303年、第9代執権北条貞時の子として生まれた北条高時は、1309年に7歳で元服すると、9歳の時に父貞時が死去、1316年に14代執権となるものの、妻の父に当たる秋田時顕や、家臣の長崎高綱・高資(たかすけ)父子が実権を握る中で、名ばかりの執権だったことから、闘犬見物、飲酒、田楽鑑賞にうつつをぬかしました。
(『太平記』によれば、鎌倉じゅうの闘犬は数千匹におよんだといいます) 1331年、高資の策略で、わずか24歳の高時は、病気を理由に出家させられてしまうものの、実質的執権として背後で少しずつ政治に関わりはじめました。

こんな幕府の混乱ぶりは、京都の公家勢力にまきかえしの機会を与えることとなり、1331年8月に後醍醐天皇が倒幕を企てて笠置山へこもり、河内では楠木正成が挙兵する「元弘の乱」が起こると、高時は大軍を上洛させて乱を鎮圧し、翌1332年には後醍醐天皇を隠岐島へ配流、側近の日野資朝らを処刑したほか、皇位に光厳天皇を立てました。

1333年に後醍醐天皇が隠岐を脱出してふたたび挙兵すると、幕府は下野国の御家人足利高氏(尊氏)を京都へ派遣しました。ところが高氏は、後醍醐天皇方に寝返って京都にある幕府出先機関の「六波羅探題」を攻略します。いっぽう関東では上野国の御家人新田義貞が挙兵して鎌倉へ進撃すると、有力御家人たちに次々と寝返られた高時は、北条家菩提寺の東勝寺へ退き、北条一族とともに自刃。140年つづいた鎌倉幕府は滅亡したのでした。

なお、南朝側に立った古典歴史文学『太平記』が広く世間に流布したため、高時が暗君、暴君、愚かな殿といったレッテルを張られてきましたが、最近では、繊細で温厚な人柄であったと、再評価されるようになってきています。


「5月22日にあった主なできごと」

337年 コンスタンティヌス大帝死去…ローマ帝国皇帝としてキリスト教を公認し、都をコンスタンティノーブルに移して全盛期を築いたコンスタンティヌス1世(大帝)が、337年に亡くなりました。

1775年 蒸気機関の特許…イギリスのエンジニアであるワットは、凝縮機、調速機、変速機の発明など蒸気機関の改良をおこなって、この日特許を取得しました。ワットの蒸気機関は、鉱山や工場で広く用いられ、産業革命の原動力となりました。
投稿日:2015年05月22日(金) 05:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)